地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

阿保原地蔵尊

a0087378_17395246.jpg ここは、北沢又の松川沿いににある阿保原地蔵尊などの石仏や供養塔碑が並ぶ区域だが、最近ここを通ったら、ここに建つ案内板が真新しくなっているのに気がついた。
 ただ、案内される内容は、先の古い案内板と見比べて見ると、その違いはなさそうだ。

 阿保原地蔵尊の由来
a0087378_17412828.jpg 当所鎮座の7基の石塔のうち最東端が「阿保原地蔵尊」の御尊像である。
 表面に「奉 仙臺阿保原地蔵尊 像也口中一切之病心願成就世須登言事奈志」との碑文が刻まれ、その下に地蔵尊菩薩のお姿が線刻されている。
 宮城県白石市の天桂院境内にも、阿保原地蔵尊が堂内に祀られているが伝承によれば慶長年間同地の円福寺住職の「自分の死後佛として祀られるなら口中の病で苦しむ人を助けてあげよう」との遺言によって土地の人々が建立したものと伝えられている。
 阿保原地蔵尊は裏面碑文の通り明治4年当時の北沢又村斎藤逸平次、斎藤源三郎の両名が発願人となり白石市三沢の「阿保原地蔵尊」のお姿を写して建立させたことが明らかで、当時の光徳寺14世住職によって開眼された7月20日を祭礼の日と定めて今日に至っている。
 阿保原の意味は不明であるが口中一切の病平癒に霊験あらたかな地蔵尊として信仰を集めてきた他の6基の石塔は南沢又上河原阿弥陀堂にあったものを太平洋戦争後当地に移した江戸時代の供養塔である。
 昭和61年7月20日
 別当 瑠璃山光徳寺
 阿保原地蔵尊奉賛会

by shingen1948 | 2014-09-18 17:43 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)