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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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二本松裏街道⑪―天皇陛下御歌碑の地から東へ進む②

a0087378_5554753.jpg 道標では、この道筋が笹山への道筋と案内される。現「笹山から『白虎隊奮戦の地』」に抜ける道筋の旧道にあたる道筋のような気がする。
 この風景を、「二本松裏街道」の視点と「白虎隊の足跡を辿る」視点から、「赤井谷地湿原」の視点に変えて見る。
 
 この道筋の辺りの地図と「赤井谷地湿原」の指定地図資料とを見比べると、現「笹山から『白虎隊奮戦の地』」の道筋に合わさる地点の少し手前が、2007年、「赤井谷地湿原」の追加指定地の北東隅になるようだ。
 そこから天皇陛下御歌碑の地の植え込み縁に沿ったラインから南側が、戦後、開墾のため現状変更されたが、2002年に公有化した部分になるようだ。赤井谷地の調査資料などでは、ここを「北休耕田」と表現されている。

 この「北休耕田」についての2003年時点での調査資料をみると、「北休耕田では26種の水田雑草を主体とした草本が繁茂していた。主にアメリカセンダングサ、アキノウナギツカミなどの中生植物が優占するが、湿生植物の割合は増加していた」とある。そして、「北休耕田では少しずつではあるがヨシ群落の進入が見られ、このまま放置されると湿生植物が優占するもともとの湿原に回復していく可能性が示唆される」とある。

 先に「二本松裏街道」の視点と「白虎隊の足跡を辿る」視点から大窪山沿いの「新四郎掘」の入り口をみたが、その「新四郎掘」に沿った水田跡が「赤井谷地湿原」の視点では西休耕田と表現される。
 こちらは地下水位が高位で変動が小さいので、北休耕田よりも湿生植物群落への遷移が早く進行していくものされているようだ。
 この「新四郎掘」は、平成22年に指定地外に付け替えられて農業用水は流入しなくなっていたのだが、近年になって、更に旧新四郎掘の出口の6ヶ所に遮水板を設置して地下水流出を防止したとのこと。堀周辺の水量が増え、堀自体も自然に埋没することを期待しているとのことだ。
 なお、同じ調査報告で、赤井谷地南縁に設置された矢板による地下水位の安定、矢板内外の地下水位の差が確認できて、矢板の効果が検証できたとの報告をみる。
 報道で目にした事はなかったが、地道な湿原回復の工夫が継続されているらしいことが分かる。

 先に、地域の人々が常に生活と自然の共生を意識することが要請されている事を、その大変さと表現したが、実は、ちょっと羨ましいという気分もあることを付け加えておきたい。
 「ここには何にもないが自然と人情だけは、ふんだんにある」というのが、田舎の良さの決まり文句の表現。
だが、それが軽い表現に思えてくる位、ここには日常の生活に真の豊かさとは何かという思想があるように思えてくるのだ。
 よそ者の戯言と言われる事を承知で付け加える。
by shingen1948 | 2014-09-13 06:03 | ☆ 環境話題 | Comments(0)