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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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二本松裏街道⑩―天皇陛下御歌碑の地から東へ進む

 現地で意識したのは、二本松裏街道筋の観点と現地に建つ「白虎隊の足跡を辿る」に案内されることの確認ということだけだった。整理する時点で、「白虎隊の足跡を辿る」で案内される事とかかわって家に戻って確認する内容が膨らんでしまったが、「赤井谷地湿原」の確認が、それ以上にてこずっている。
a0087378_4132587.jpg 二本松裏街道筋を天皇陛下御歌碑の地から東へ進むと直ぐに、前方に右へ入る脇道があり、その角に道標が建つ。「左戸ノ口 右笹山 ニ(至?)」が読める。
 どちらも「白虎隊の足跡を辿る」こととかかわって、気になる地点を指している。

 最近分かった事を付け加える。
 「天皇陛下御歌碑の地」と案内された地点は、地元では「姥山」と呼ばれているらしい。「白虎隊の足跡を辿る」観点からは、この地を「姥山」と見た方が分かりやすい。
 もう一つ、新四郎掘、菰槌山付近からこの地点辺りまでが、戸の口原戦の会津藩の前線基地であるらしいという事だ。
 更に、先に「荒井村」が分からないとしたところだが、これが、旧上強清水村らしいことまでは分かった。ただ、最近また地域名が変わったようで、強清水と上強清水の位置関係までは確認できていない。

 そして、「戸の口原古戦場碑」が建ち「白虎隊奮戦の地」が案内されるのは、この少し先だが、実際の「白虎隊奮戦の地」はこの辺りらしいこと。
 細かい点ではいろいろな微妙に違う見え方があるようだが、会津藩の陣が菰槌山であり、この辺りが会津藩の最前線であったらしいという見え方は変わりなさそう。
a0087378_4184658.jpg 最近本屋で立ち読みした資料では、「天皇陛下御歌碑の地=姥山」の地が8月22日の白虎隊奮戦の最前線地とみて、翌日の白虎隊奮戦の地が「新四郎掘」と見ていた。石田氏は、新四郎掘で戦うのは篠田隊とは別の隊と見ているようなので、確かに見え方に微妙な違いはありそう。

 この写真は、「左戸ノ口 右笹山 ニ(至?)」の「左戸ノ口ニ至る」道筋を意識して撮ったものだが、資料と照らし合わせると、石田氏が白虎隊奮戦の最前線地と見ているのは、道筋の左側に写り込んでいる辺りではないかな。
by shingen1948 | 2014-09-12 06:05 | ◎ 会津への路(戊辰戦争) | Comments(0)