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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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下舘駅付近の史跡情報②~ 沼尻鉄道廃線跡⑫

 今回の沼尻鉄道廃線跡では、白木城停車場の案内板が写真に残るので、そこまではたどったようだが、荻窪停車場を見逃している。沼尻鉄道廃線跡をたどる集中力は、下舘駅で途切れている。
下舘駅付近の史跡情報②~ 沼尻鉄道廃線跡⑫_a0087378_15394137.jpg とりあえず、城停車場の案内板をもとに、白木城停車場と白木城集落案内を確認しておく。
下舘駅付近の史跡情報②~ 沼尻鉄道廃線跡⑫_a0087378_15412420.jpg 白木城集落は、明治21年7月の磐梯山噴火により、国道115号付近から現在地に移転しました。以前の集落跡には、猫石様として祀られている岩があります。
 養蚕が盛んだった村は、この神に礼拝すれば養蚕に鼠が近づかないと信じられていました。
 ここは初めての地で、訪れたのは沼尻鉄道廃線跡散策の興味だった。しかし、案内された事を確認する中で、「旧修験榊原家」とか、円通寺とか、観音堂とか、経塚といった宗教的な雰囲気と猪苗代高地(?)の北縁に位置する川桁山裾の風景を感じながらの散歩もありだなとも思った。
 また、中世の舘散策とか、猪苗代氏等地元の歴史とかかわった散策も……。ということで、今回たずねた地の舘等、「会津古塁記」に記されたものを掲げておく。
 一、猪苗代八手山城(白津柵) 建久二年辛亥義運之孫大炊介経連築き住す。亀ヶ城と稱す又白津に柵を築く。建久二年辛亥東西十六間南北九間城代岡部弥彌太郎居る。
 一、内野村柵 昔恵日寺之代宦小檜山丹波住す。大永自天正之頃子孫同孫六(六郎)居る。
 一、下舘村柵 東西二十一間南北十六間応永二十一年甲午伊豆下野守築く文明之頃佐藤左衛門尉住す、後天正之頃岡部宗九郎憲定住す。
 一、猪苗代白木城昔大寺恵日寺之持城なり。寛弘年中安田越中居る。天正之頃三浦盛(成)勝居る。

 一、同西舘 建久八年丁巳長尾遠江守赤房築く其子隼人、内城に移り其子国房其子相模守其子三浦太郎盛親中川を領して移る其跡え渡部兵部蔵移る。
 一、同内城有り、三城潟三浦大炊介経連子経泰赤房義泰三つ築く故に三城形と号す。村も是を名付子孫代々住す。天正之頃廃す。一、内野村柵 昔恵日寺之代宦小檜山丹波住す。大永自天正之頃子孫同孫六(六郎)居る。一、東舘正治元治元年己未三浦弾正正盛泰築き住す。其後家臣山川但馬住す天正之頃小原平九郎住す。

by shingen1948 | 2014-09-01 15:47 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)