人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

下舘駅周辺の史跡情報 ~ 沼尻鉄道廃線跡⑩

 下舘駅の案内板では、ここを「旧町内(猪苗代町の)に最も近い駅」と案内され、近くの史跡紹介はない。
 ただ、二つの停車場で案内された史跡を確認していくと、その延長で気になるのがマホロンの「遺跡データベース検索」でこの辺りに「円通寺跡」が示されていること。
a0087378_542114.jpg この写真は「長瀬産業組合」の写真の後ろに写り込んだ風景を切り取ったものだが、その「円通寺跡」と示された辺りの風景に近いような気がするのだ。というのは、「円通寺跡」とかかわりそうな情報を拾うと、現在の三郷下館の小檜山隣松院とかかわるようなのだ。

 「隣松院」といえば、地元では直ぐに猪苗代氏の菩提寺とかかわる寺とのイメージになるらしい。その寺は、元々三祢にあったのだが、それが何らかの理由で、末寺の円通寺があった現在地に移転してきたということらしいのだ。
 「会津事典」に紹介される「隣松院」を確認する。
 隣松院
 耶麻郡猪苗代町大字三郷字館ノ内にある曹洞宗の寺院。小檜山と号す。本尊は釈迦如来。
 猪苗代城主三浦時盛が永徳3年(1383)猪苗代城の北、磐梯山の麓に精舎を建立、100貫文の地を寄付し「隣松院」と名付けたのに始まる。
 天正17年(1589)摺上原の戦いの際、堂宇が破壊されたが、慶長年間に再興された。その後、末寺の円通寺があった現在地に移転。
 末寺8ヵ寺、塔頭3ヵ院を有した猪苗代家の菩提寺で、寺宝に猪苗代盛国の書簡がある。
 今回得た猪苗代氏にかかわる案内情報を整理する。
〇 猪苗代氏初代経連の菩提寺は、川桁の滋應山観音寺で、墓所不明。「隣松院」は4代時盛が、父某隣松院殿前三浦雲州傑山玄英大居士の菩提のため建立(三祢に)。
〇 猪苗代一族中、唯一残った墓が、「内野停車場―下舘駅間 ~ 沼尻鉄道廃線跡⑦」でふれた14代盛胤のもの。確からしさはしらないが、ここでふれた「旧八手山城の城主が三浦経連」で、有名な松はその重臣の邸内にあったという情報。
 なお、今のところ孫引情報だが、「耶麻郡誌」には、盛胤の子作衛門盛親が、平藩鳥居家に仕官し、中野村を領し中野氏を称し、その曾孫の盛信の子理八郎義都は保科正之に仕えたとの情報があるらしい。
 また、マホロンの「遺跡データベース検索」では、この周辺に「下館板碑」を、東側に「下館館跡」を記す。

 「円通寺跡」から「隣松院」につながった情報だが、それを更にたどると秀長寺にまでつながっていく。ならば、情報的には昨年整理の「大河八重の桜」とかかわり、その前に整理した「拝領妻」悲劇ともつながるということだ。
by shingen1948 | 2014-08-30 05:49 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)