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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「川桁駅―白津駅ー内野」間 ~ 沼尻鉄道廃線跡⑥

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 県道323号野老沢川桁停車場線を進むと、右手に「しろづ停車場跡」案内板が建つ。案内板に木造のバス停のような待合場の写真があることで、ここが停車場だったのだろうと分かる。ここに停車場あって旅人が降り立ったなら役立ちそうな地域の案内も記される。

a0087378_11455177.jpg 白津集落内には、樹高23m、周囲3.8m、推定樹齢450年の典型的な傘松の樹形をした「白津からかさ松」があります。
 集落の北東の山頂にある旧八手山城の城主、三浦経連の重臣の邸内に合った木と伝えられ、根元には三宝荒神(竃の神)を祀った小祀があります。
 「ウィキペディア」で、白津駅について「当駅(白津駅)のすぐ北側で線路と道路が交差し左右の位置が入れ替わった」と解説されるので、古い写真で確認してみた。
 すると、線路は真っ直ぐ北に延びて進み、道路がS字に曲がって軌道を横切っているという感じの交差のようだったらしい事が分かる。
 現在は直線道路になっていて、その雰囲気はない。
 ということは、ここから先のS字で軌道を横切って軌道の右側になった道筋分も東側に広げられているということなのだろう。この辺り結構広い道巾は、沼尻軽便鉄道軌道との供用部を含んでいるためとは思っていたのだが、それに加えて更に県道分広げて直線道路にしたという事なのではないかなと思うが、どうだろうか。
 当然、この先では軌道の西側に川桁駅から白津駅までの道筋分が加えられのではないかな。
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 次の「うつの(内野)停車場跡」案内板は、道筋の左手に建つ。ここの停車場も、木造のバス停のような待合場であったようだ。この地域の案内は以下のようだ。
 内野には、中世にこの地を治めるために猪苗代氏の居城である「亀ケ城」の最後の城主第14代猪苗代盛胤の墓があります。盛胤は、伊達側に寝返ろうとした父盛国を誡めましたが逆に罪を着せられ追放されました。
 摺上原の戦いででは、葦名方として父と戦い、葦名氏の滅亡後は蒲生氏にも仕えず、寛永10年(1641)内野村で77才の生涯を閉じました。
 先に「猪苗代盛胤の五輪塔」を尋ねて、「猪苗代盛胤の五輪塔」として整理しているが、確かに猪苗代盛胤は内野で歿している。この町指定重要文化財の五輪塔とは別に、この地に墓地があるということだろうか。
 http://kazenoshin.exblog.jp/7323455/
 沼尻鉄道廃線跡ということでは、「ウィキペディア」に、「当駅は、川桁駅~当駅間の未舗装県道との併用軌道が終わり、専用軌道に入った位置に存在した」という部分が気になる事かな。
by shingen1948 | 2014-08-25 11:55 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)