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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~吾妻連峰へのアプローチ口としての庭坂駅⑤

 現高湯街道と旧高湯道との間にもう一本の道筋がある。
 その道筋をたどりながら、旧高湯道を観察し、記憶と照らし合わせてみようかなと思ったが、そちらはうまくいかなかった。ただ、菅原氏が高湯付近の水利実査に向かったであろう道筋のイメージの確認はできたようにも感じている。
a0087378_18392590.jpg
 こちら側の道筋から姥堂神社の裏側や街道沿いの石垣付近は、比較的容易にその位置が分かる。
 ここは、少し進んで、旧道に竹棒で行き止まりの印のあった付近だ。こちらの道筋から、その先に行く道筋に抜けることができそうだが、行き止まりにした意図が不明なのと、小心者であることで、そちらには行かずにこちらの道筋からの観察にする。

 a0087378_1842826.jpg 暫く進むと、道筋と旧街道との間に別荘風の建物が並ぶ集落が見えてくる。旧街道は、その向こうの谷下を通っているものと思う。
 現地を歩いている時は、この先に南林簡易水道組合の水槽があったので、この集落がその南林集落なのかなと思っていた。しかし、家に戻って地図で確認すると、この辺りの地域は「字上ノ堂」であり、字南林は、字姥堂の南側の集落であることが分かる。
a0087378_18453463.jpg
 これが、その南林簡易水道組合の水槽で、この先から現高湯街道に抜ける。
 水神があって、ここが水源かなとも思ったが、この先の現高湯街道沿いにその水源らしきものが見えてくる。その関係性については確認していない。

 現高湯街道に交わる辺りから、旧街道筋が須川筋であったろうことがちらりと見える。そのまま現高湯街道を進みながら左手谷を確認して行くと、須川筋かちらちらと見え隠れしてくる。

 菅原氏等は、提灯と一日分の握り飯をたずさえて、夜の明けない暁暗をついて福島を出発したという。姥堂を経由し、高湯の信夫屋旅館に向かい、そこで朝食を食べたとのことだ。
 彼等は、姥堂から高湯の信夫屋旅館迄の間、ずっと須川筋を意識しての強行軍であった事がイメージ出来たということだ。
by shingen1948 | 2014-07-25 18:47 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)