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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~奥羽本線(山形線)④~避線

 奥羽本線を確認して、山形県側の思いと福島県側の思いの温度差を感じたところ。奥羽線の場合、「のりしろ」(=中心話題の端)という意味では、福島県側の赤谷駅から福島駅までの間という感じかな。
 「さよなら スイッチバック you・誘・遊」イベントの時に車内から撮った写真と奥羽本線(山形線)について得られる情報とをつき合わせることで庭坂カーブ付近までイメージをつないだが、ここから先に整理した「山の上」鉄道橋―大堀川第二鉄道橋の隣の橋―大堀川第二鉄道橋―庭坂事件碑とつながる。

 散歩道としては、ここから「街道Web」のページに紹介される「庭坂駅キャッチサイディング」をイメージしながら庭坂駅に向かうのがいいかな。
 「キャッチサイディング」とは、急坂を列車が暴走し始めた事態に備えて、本線から退避、減速、停止させるための路線で、庭坂駅近くにあったとのことだ。ただ、試験運転をしてみたら途中で脱線してしまって、うまく機能しなかったとのこと。それで、直ぐに廃止されて、レールも外され、築堤も崩され、跡地は払い下げられたので、その痕跡は少ないとのことだが、「福島の町と村」の地図をもとにそのルート痕跡を推理し訪ねたということのようだ。
 この「キャッチサイディング」についての情報を他で見たのは、今のところ「清水寺」の記念誌ぐらいしかない。そのルートを言葉で紹介されていた。
a0087378_1721273.jpg これは、その「庭坂駅キャッチサイディング」が本線から分岐させる地点から眺めている。この左手がその廃線跡の道筋だとのことだ。
 ここの分岐イメージには、旧線の歴史を背負っている原形に近いのは上り線ではなく、下り線なのではないかと見直した事を考慮してみる。

 これも孫引きの状態だが、「試験運転をしてみたら途中で脱線してしまった」の部分について、「鉄道ピクトリアル:特集板谷峠(1989年2月号)」には「僅か140メートル走ったところで脱線し、その後改良した」とあるらしい。ならば、「キャッチサイディング」は、全体としては2㎞強あったのだが、左手の道筋に写っているこの道筋を跨いでいる道路がフルーツラインだが、そのちょっとむこうあたりで脱線してしまったということになる。

 先にも「街道Web」のページに紹介されるこの「キャッチサイディング」を意識して、その後をたどった事はあったが、今回意識し直している。
 それは、「庭坂事件を考える」に「碓氷峠」が紹介される箇所があって、その「碓氷峠」の情報を確認していたら、「避線」情報に「庭坂停車場ニ於ケル避難線」の廃線情報を見つけたのだ。
 「碓氷峠」の避線については、次のように紹介される。
 
(避線は、)66.7‰勾配内で、列車が逆行し、途中停車の望みがなくなったとき、列車を引き込んで自然停車させて脱線転覆を防ぐという効果をねらったもので、勾配が25‰から66.7‰に変わる丸山(信)の構内に、峠と逆の方向に200‰、延長 350mの引込線を設けた。ここの避線は、明治29年5月に使用開始され、「避線用地ハ昭和11年度民間ニ払下ゲ」られたとのことだ。。
 その避線廃止については曖昧なところがあって、その考察する中に、小野田滋氏の「鉄道古文書に見る碓氷峠の鉄道」(『鉄道ピクトリアル』97/8)に、明治35年(1902)の欄に「信越線丸山信号所及撤去」という逓信省公文が紹介されているという情報を見たのだ。
 この明治35年に撤去されたという奥羽南線庭坂停車場ニ於ケル避難線と「街道Web」がいう「庭坂駅キャッチサイディング」は同じ概念ではないかなと思ったのが、興味を持ち直したきっかけということ。
by shingen1948 | 2014-07-15 17:24 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)