のりしろ散歩~奥羽本線(山形線)②
2014年 07月 13日
まずは、車内から撮った鉄道橋の写真。乗っている列車は下り線を走っているので、上り線の松川橋だと思う。新幹線開通に向けて改修中だったのだろうか。
情報と突き合わせると、昭和35年に開通した3代目の線路ということになるのだろう。庭坂事件が起きるのは昭和23年(1948)なので、こちらの橋ではなく現役の鉄道橋の間をクロスするようにかかっていたという2代線の松川鉄道橋という事になるのだろう。
「廃線レポート」によれば、庭坂赤岩間では次のような線路変遷があったという。
初代線は明治32年から明治44年、2代線は明治44年から昭和35年、3代線が昭和35年から現役で、4代線が昭和42年から現役とのことだ。
初代線がわずか12年足らずで廃棄されたようだが、その事情については、「日本鉄道史下編」の「第18章国有鉄道」「第二項 奥羽線」に、以下のように紹介されていた。
庭坂赤岩間線路変更ここでいう「赤岩第一隧道」と称されるのは、改変の様子と断層線のかかわり、それに庭坂側から番号がふられるという状況から、庭坂側の付け替えの直ぐ西側の隧道なのだろうと想像するが、どうだろうか。
明治43年より44年度に亙(わた)り奥羽線庭坂赤岩間に於て線路変更工事を行へり、其原因は43年8月6日より17日に至る豪雨の為赤岩第一隧道上の山腹に在りし断層より山腹の一部移動分離し之が為隧道は圧力を受け一部崩壊したるものにして支保工事を施し之を防御したるも漸次隧道拱に変形を来し到底修繕の効なきを認め、該隧道を廃棄し新に延長約58鎖の線路を選み隧道2カ所(内1カ所は延長1千3百34呎(フィー))橋梁2カ所(内1カ所は300呎(フィー)一連80(フィー)一連)を設け翌44年9月4日竣工したり、該工事は東部鉄道管理局の主管に属し改良費を以て支弁したり。