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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~奥羽本線(山形線)

 「庭坂事件を考える」では、その事件の舞台として奥羽本線を次のように紹介している。
 トンネル15か所のほか、勾配の標準設計25%という上限を遥かに越える30%以上の難所が連続する。そのため、急勾配の本線上に駅を設置することが出来ず、スイッチバック駅が赤岩・板谷・峠・大沢という4駅に連続することになる。
 その後、庭坂~赤岩間、赤岩~板谷間で線路の付け替え工事も行われたが、最大の難所である事に変わりはなく、戦後すぐに福島~米沢間の電化(東北地方では宮城・山形県境の仙山線作並~山寺間に次いで2番目)が図られた。ただし、途中4駅のスイッチバック方式は、電化実施(蒸気機関車を廃止)後も長らくディーゼル(気動)車が使用され続けたため、なお長期にわたって存続することになる。
 この「長期にわたって存続することになった途中4駅のスイッチバック方式」をやめることになったイベント列車に子供の付き添いで乗ったことを思い出した。
a0087378_953995.jpg 整理した写真をみると、平成元年(1989)8月実施の「さよなら スイッチバック you・誘・遊」というイベントで、福島~山寺までのコースだったようだ。この年は、1月7日までは昭和64年で、1月8日から平成元年になった年だ。
 実際のスイッチバックの廃止を確認すると、赤岩駅が平成2年(1990)3月10日で、板谷駅・峠駅、大沢駅が平成2年(1990)9月1日のようだ。このイベント後も、暫くの間、スイッチバック施設は活用されていたということになるようだ。
a0087378_9545069.jpg 子供を写した写真から、そのスイッチバックにかかわる施設が写っている部分を切り取って貼ってみる。
 駅のプラットホームから撮っている。奥に見えるのが、大沢駅のスノーシェルターで、左側の斜めに走る線が本線につながるのかな。
 峠方面から下ってきた列車は、プラットホームにそのまま入る。出発する時に、一度水平に逆進して、そこから本線に乗り換えて行くという事になる。
 米沢方面からなら登りになるので、まずスノーシェルターに入って、そこから逆進してプラットホームにはいることになるのだと思う。そして、出発する時にはそのまま本線に進むという事になるのだろう。

 赤岩駅、板谷駅、峠駅でも同じようにスイッチバックで駅に入線したのだが、短時間の停車時間として、この大沢駅でたっぷりと時間をとるという主催者側の配慮があったようだったことを思い出した。
 この後、板谷駅と峠駅に車でも出かけたことがあったことも思い出した。少なくとも、その時点でこれらの施設は健在だった。
by shingen1948 | 2014-07-12 10:00 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)