地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

のりしろ散歩~奥羽本線~庭坂事件④

a0087378_9592225.jpg 庭坂駅の北側に庭坂機関区の施設があったとの事なので、駅の北側に回ってみた。北側からは跨線橋(こせんきょう)に自由に入れるようになっているのは、北側の住宅地への配慮なのだろうと思う。
 その跨線橋から東側を眺めてみたところだが、フェンスまでが庭坂駅構内であり、この駅が奥羽線の中心的な駅だったのであろう面影が残る。

 「庭坂事件を考える」では、松川事件と庭坂事件の関連性について考察を深めているが、自分も松川事件の現場歩きの「現場には、3人の犠牲者の慰霊碑が建っている」の中で、以下のようにふれていた。
 http://kazenoshin.exblog.jp/5900905/
 この松川事件の起こった前年の昭和23年4月の夜中に、奥羽線の赤岩駅と庭坂駅の間で、上り列車が脱線、高さ10mの土堤下に転落するという事件があったという。この時も、機関士、助士の2名が死亡したとのことである。現場付近はカーブで、付近の犬釘と非常継ぎ目板が抜き取られていたという。これも迷宮入りで、松川事件との関連性を疑う人もいるらしい。

 ここでは整理していないのだが、実感としては、バールのインパクトが強い。
 小心者なので、不断に松川事件資料館を訪れることはかったので、福大で松川事件にかかわる集会があった機会に、参加者の一人のように紛れ込んで資料館を見学させていただいたことがあったのだ。その時に写真記録をしておいたものが、カードの故障で消滅してしまっていたこともあって、そのままになっていたという事もあるのだが、この時に展示されていたバールの存在のインパクトが、陰謀説の実感と結びついているのだ。
 「庭坂事件を考える」では、庭坂事件のバールについては以下のように記す。
 線路破壊の道具については、発見されず仕舞いであった。ただし、翌年8月17日に松川事件が発生生した時、いち早く現場に現れた玉川(松川事件でも警察側の捜査主任)が犯行道具はバール、スパナに違いないと予言し、程なくして現場脇の水田のへりからバール(145センチ)1本と自在スパナ(24センチ)1挺が見つかるという不思議な出来事があった。
 そして、この予言の根拠について、玉川は前年の庭坂事件の経験をあげていた。玉川がこの庭坂事件の警察側捜査主任でもあったことを考えれば、玉川のこの言動は、彼が庭坂事件の犯行道具や真犯人について具体的な情報をあらかじめ得ていた可能性を示唆するものかも知れない。これとは別に、近年になって、福島市大笹生地区で発見されたという大型のバール(長さ150センチ弱)が松川資料室に届けられた。発見場所は庭坂事件現場から10キロほどの北に当たり、飯坂温泉との中間点付近に位置する。この新たに届けられたバールのツメの下には、ヒシ型の中にNT をあしらったマークがついている。もしもこれが国鉄の備品であれば、NT は新潟鉄道局のイニシャルを連想させるが、確かに新潟鉄道局は、当時の庭坂駅を管轄区域にしていた。また、温泉地が実行犯の前進基地として利用されていた可能性については、その後の松川事件などについても指摘されている。

 筆者は具体的な大きさを記すのみに留めるが、松川事件のバールとされるものを実際に見た者にとっては、ちょっと大胆とも思えるこの推論にも結構説得力があると感じるものなのだ。
 その上に、捜査では無視されたという「当日の早朝に現場方面から庭坂駅の方向に足早に向かう不審な一団と遭遇して声を掛けたが返事がなかった」という地元民の話とか、「事件当夜には多数の警官隊が非常警戒態勢を敷いていたという確かな情報」から「警察隊の出動と線路破壊の決行は対の関係」との想像に導いている。
by shingen1948 | 2014-07-07 10:01 | ◎ 松川事件を歩く | Comments(0)