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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~奥羽本線~庭坂事件

 この大堀川鉄道橋辺りが「庭坂事件」現場であることを知ったのは、「殉職之碑」が建っていたからだ。
a0087378_1455630.jpg  「庭坂事件」を知ってはいたが、その現場はよく分かっていなかった。松川事件現場と見比べれば大カーブ付近というのは納得できるのだが、イメージ的には、もっと赤岩寄りなのだと勝手に思っていたところがあったのだ。驚きはかなり庭坂寄りだなということだけだ。

 この碑、「庭坂事件を考える―翌年の松川事件に繋がる謀略事件―【福島大学名誉教授伊部正之】」によれば、発起人は千秋信雄庭坂機関区長、実務は紺野健一郎・佐藤雄若・後藤久男の3機関士が担当したとのこと。そのこだわりについても詳細に紹介される。
 殉職碑に使用した御影石の原石は、地元(庭塚)の石工茂木金兵衛の情報によって赤岩~板谷間のはるか下を流れる松川から見つけて運び上げたものであり、原石の研磨は(経費節減の意味も込めて)乗務員たちが担当し、加工(彫り込み)は茂木が行った。また、土台石は事故現場の水田で機関車が激突した大石を掘り出して整えたものであった。建立の費用は庭坂機関区が全額支払い、除幕式は1948年夏ごろ(月日不詳)に執り行われた。

 碑文を確認しようと写真におさめてはきたが、こちらの紹介を引用させていただく。
 昭和23年4月27日午前0時4分第402列車運転中脱線転覆の為職に殉ず
 機関士管野弘道行年27歳
 機関助士三浦忠男21歳
 技工山岸孝19歳
 庭坂村長菅野聖瑞謹書

 隣の「殉職之碑誌」は、1997.7.27関係有志によって犠牲者の50回忌法要が営まれた時に建立されたのだとか。
 昭和23年西暦1948年4月27日青森発上野行急行旅客列車が買出人等1200余名を乗せて走行中右の電柱附近で脱線し機関車は転覆して道路の上から約30米滑り落ち巨大な岩石に激突して大破しその破片が執務中の3名の全身を直撃したため生命を断たれて殉職しました
事故の原因は今だに解明されておりません
 発起人9名(氏名略)
 平成9年9月紺野健一郎謹書

by shingen1948 | 2014-07-03 14:16 | ◎ 松川事件を歩く | Comments(0)