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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~湯町温泉の天戸座情報

a0087378_1030588.jpg  「福島の建築 ⑰」で、平成19年(2007)と平成21年(2009)の「天戸座」の状態を中心に記録しておいたが、現況は更地になってしまった。
 震災後も直ぐにも崩壊しそうな状態ではあったが、その面影は残されていたのだが、今は全くその面影はない。
 http://kazenoshin.exblog.jp/d2010-02-10
 今回、湯町温泉確認のために見ていた「福島散歩」でも、天戸座が紹介されていた。
 湯町の一角に、劇場「天戸座」がそのまくの姿(?)を残している。現在はバドミントンの工場に変わってはいるが、その劇場の建物だけはその面影をとどめている。
 昭和45年(1970)頃は、バドミントンの工場だったとのことだが、それ以前にもここを訪ねているが、その時にも工場ではなかった。見ていたのは工場撤退後の「天戸座」の姿だったという事らしい。それでも、前面が朽ちはじめていたものの、まだ面影が残っていた。

 天戸座が健在だった頃に近い写真を見たのは、「阿部倉吉翁盆栽個展」のパンフレットのページ。
  湯町から堰をたどる散歩中に、「阿部倉吉翁碑」というのがあって、どなたかと確認する中で見つけたページ。
 翁は盆栽に秀でた方のようで、氏の盆栽や吾妻松について解説されるのだが、氏の人柄を知る事柄の一つとして、天戸座がかかわる田舎芝居の話が紹介されていたのだ。
 旧信夫郡庭坂には、大正時代から「天戸座」と呼ばれる劇場があり、そこで翁は、地元志田劇団の一員として活躍されていたのである。初舞台はまだ10代の時であった。
 「志田家若丸」とは、その当時の翁の芸名である。翁は、団員の中でも名演技者として通っており、「泣かせ役」「おどけ役」は、翁の一人舞台であったという。
 そのためか、天戸座ではしばしば興行していたプロの劇団「五月劇団」からは、人出が不足していた際にはよく頼まれて出演したこともあったそうである。
 そこに、天戸座と沓掛時次郎の女房を演じた時の女形の写真も掲げられていたのだ。
 翁の芸名「志田家若丸」の「志田」は、翁の顕彰碑が建っていた地名と同じ。地域名からの呼称なのだと思う。
 その昔は、歌舞伎、大衆演芸や剣劇、レビュー、浪曲などが上演されていて、戦後は、映画が上映されていたとの情報の具体例だ。
 少なくとも、天戸座が健在だった頃に近い写真が「志田」の地域に残っているであろう事は確実のようだ。
by shingen1948 | 2014-06-28 10:38 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)