のりしろ散歩~庭坂発電所⑤
2014年 06月 21日
要は、「東北の電力創生記」から読み取れる菅原道明氏が発電所建設の最適地にたどり着くコースの推測と追体験に近い事を組み合わせて散歩してみたということだ。
読み取ったのは、次のようなコース。
氏は、高湯から最適地が見つからずに道なき道を下ってきて、庭坂まで4㎞付近の旧米沢街道の茶店にたどりつく。そこまでは、須川水系の発電所を意識しているらしい。
そこから庭坂に下る途中、石橋の下を流れる水量の多い用水路に出会う。これが、天戸川水系の発電所を意識するきっかけということのようだ。その水量の多さに期待を込めて、その水路をたる。
水路脇にあつた一軒の民家に立ち寄って、その水路が天戸川の第一堰から大字矢細工への用水路だったということを知る。
その水路脇の民家の位置が、清水観音近くの字清水の地点ということだったようだ。そこから、その西方に清水原という官用地(後に第一発電所を設けた地点)に進んで発電所適地を見つけたということらしい。その辺りが確認できないかというのが期待だ。
「清水観音」を西方の崖上に意識し、堰を意識的にみれば、確かに数本の堰が路を横切っている。そのうちの天戸川に最も近い堰で、その西側に清水原という官用地がある民家ということを意識して、たどり着いた付近を見回せば、その坂道の上方にこの貯水池の脇に水神のある風景に出会った。
その風景の林の奥を覗き見ると、手前をコンコン流れる堰の用水路が見え、その奥に天戸川の本流が流れるのだが、西手奥が滝になっている。
写真では分かりにくいのだが、取水口の堰なのだろうと想像する。その取水口の堰を意識しながら少し登ると、発電所の案内板が設置される見覚えのある風景にたどりついた。
現在は立ち入り禁止だが、最適地を求めてこの道筋を先に進んでいったということなのだろうと勝手に想像を膨らませる。
先に訪ねた時の貯水池の脇に水神のある風景の記憶はない。今回、堰を意識しながら歩いたことで見えた風景なのだろうと思う。