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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~庭坂発電所④

a0087378_8425070.jpg ママチャリパンクで頓挫していた庭塚(在庭坂村+二子塚村)付近に阿保原地蔵確認に出かける途中、気になって1枚パチリ。その会社の名称から、これが発電所建設とかかわった会社かなと思って撮っておいた写真だ。

 「東北の電力創生記【岡田益男】」によれば、請負入札で、路工事を依頼するのは、庭坂の小野石蔵氏だとあって、次のようなエピソードが紹介されている。
 (依頼後)、小野は実地検分をしたあとで「前に保原の用水路工事を請負った時、阿武隈川の水が水路にのらなかったことがある。今度も私の肉眼で実測したところ、取入口の方が水槽地より高く、あの水は水槽地まで上らぬと思う」と渋ってきた。
 菅原は自分の実測に確信をもっていたので、小野に対し「工事完成後、水が水路に乗らなくとも経費は必ず全部支払う。心配しないでやれ」と厳命した。後に、仮通水式が成功して完全に水が水路に乗った時、小野は「肉眼より器械の実測の方が確かだった」といって、すっかりカブトをぬいだという。
 初めての事も多く、実験的に取り組みが多かったはずで、互いにに真剣に意見を戦わせて切磋琢磨したものと思われる。その中の菅原氏側からは、これが特筆すべきエピソードと見えたこということなのだろうと思う。

 家に戻って、小野工業所のホームページを確認する。
 その沿革をみると、明治22年3月に福島県に登録したことをもって創業とするようだが、明治10年半ばには、小野石蔵が家業を起こしたとある。間違いない。
 その沿革の続きに、明治28年には福島電燈㈱庭坂第一発電所水路工事が、明治37年には庭坂第二発電所が記されて、庭坂第一発電所の写真が掲載される。
 そして、「会社創業期のはなし」のページには、明治28年開業した庭坂第一発電所(最大出力30kW)・明治37年に運転開始した庭坂第二発電所(最大出力270kW)の写真が掲載され、以下のように解説する。
 http://ono-net.co.jp/ab_sogyo.html
 庭坂第一発電所は、明治28年11月25日に日本で2番目の水力発電所として、菅原道明らにより設立された福島電燈株式会社により建設されました。第一号の電燈が灯ったのは本田熊吉商店であり、当時の新聞記事には「本田店内に狐光灯輝けり」と報じられ、さながら不夜城のようであったとのことです。  
 当社の初代である小野石蔵は庭坂第一発電所の水路工事を請け負ったとの記録があります。その後、庭坂発電所は昭和50年10月31日まで稼働を続け廃止されました。
 更に、福島県企業局により復活した庭坂発電所導水路トンネル工事施工にも参加したことが記される。
 ホームページのトップページの「地域と共に世紀を越えて」と最後に提示される写真は、明治37年に運転開始した庭坂第二発電所(最大出力270kW)のようだ。

 冊子では、「写真集『明治・大正・昭和福島』【大村三良編】」で、茂庭発電所とともに、この庭坂第一・第二発電所の写真を目にする事はできるが、webで目にできたのは、今のところここだけだ。
by shingen1948 | 2014-06-20 08:46 | ◎ 水 | Comments(0)