のりしろ散歩~庭坂発電所③
2014年 06月 19日
東北での順番については、現在は互いに譲り合う展開になっているのは、東北人の気質だろうか。
案内板では、東北では2番目と一歩引くのだが、東北学院大学経済学論集「仙台市・宮城県における公営電気事業と太田千之助【岩本由輝】」では、以下のように庭坂発電所が東北で最初だとしてその順位を庭坂第1発電所に穣っている。
専用の水力発電所としては1895年11月27日開業の福島電燈株式会社の出力30kw庭坂発電所の方がわずかに早く、東北地方で第一号ということになり、1891年11月運転開始の京都市営の出力80kw蹴上発電所につぐものとなっている。「東北の電力創生記【岡田益男】」には、創業当時は東北一を競い合っていた状況であったように紹介されている。
まずは、庭坂発電創業者菅原道明氏については、以下のように紹介される。
菅原道明の福島電燈会社が事業を開始したのは明治二十八年十一月二十五日だが、その時仙台の宮城紡績社長兼電燈の社長佐藤助五郎が福島へ発電所の見学に来たので菅原が案内している。前述したように、その前年の八月十八日に、仙台三居沢で綿糸紡績会社が水車に小発電機を連結して、市内の芭蕉の辻および国分町の旅館に電燈を点火したというので、菅原等四名が視察に行っている。また東北の鉱山では院内と阿仁で水力電気をやっていたが、電燈会社としては福島電燈が東北では第一であったと菅原の手記には書いてある。次に、宮城紡績電燈会社社長伊藤清治郎氏は次のような紹介。
当時の宮城紡績電燈会社社長であった伊藤清治郎の書いた「電狸翁夜話」によると、三居沢の発電所が完成したのが明治二十七年七月で、電燈供給事業を開業したのは同月の十五日であると書いてあるから、仙台の方が一年半も早く、三居沢こそ京都に次いで日本で二番目の水力電気事業といえるわけであるが、……。競い合う内容を読み解くためには、当時の発電が、火力発電が主流であったことを知らないと混乱する。これからの時代の最新技術は水力発電だという時代背景を念頭に置く必要があるのだ。
その前提でこれ等のエピソードを眺めると、夜間の補助手段として水力発電を併用的に使用ということでは、宮城県が早いのかなと思う。しかし、本格的に専用の水力発電を導入したということなら、庭坂発電所が早いという状況かなと思う。
全国的には、最新の技術である水力発電による電灯会社の営業が1891年11月運転開始の京都市営の出力80kw蹴上発電所だ。この東北の福島と宮城の競い合いが、全国的には2番目の導入の競い合いだ。
ならば、特筆すべきことは、庭坂発電所が東北で1位か2位かという順位結果ではなく、この東北の最新の技術導入の競い合いそれ自体が、全国的に見ても2番目に早い段階での競い合いだったということの方なのだろうと思う。
自分としては「明治28年に福島電灯株式会社(現在の東北電力(株))が福島県で最初(全国2番目を宮城紡績電燈会社と競い合った)に水力発電を開始した庭坂第1発電所」という見え方をしたい。