地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~ママチャリトラブル②~「湯町温泉 引湯懸樋台石積」②

 案内に登場する信夫郡長柴山景綱氏は、三島通庸氏の義理の兄であり、その人事や活躍は三島通庸氏がかかわる。この湯町開設も当然その裏に三島通庸氏の影を感じながら、表面的に柴山氏の仕事として解説される。地元の案内が控え目なのは、そのためもあるのだろうと思う。

 自慢げに紹介する視点を、西軍側のその後の活躍資料に求める。「柴山景綱事歴【山崎忠和 著(明29.7)】」では、以下のような紹介になる。
 庭坂温泉場工事之事
庭坂村地方に温泉あり高湯と称し奇効ある温泉なるも郡の西隅吾妻山と称する峻嶺の上にあるを以て常に浴客往来に苦む加之ならず初冬より積雪道を埋めて通するを得す以て遺憾とす故に山麓3里許即ち庭坂村に之を率槽せるは其便利少なからず因て景綱之を人民に諭すに賛する者多く後ち工事に着手せり
景綱嘗て痔を患ひ百万医治を加ふ然れも効験を見ず適々高湯に浴す5日にして痔益出ず尚浴する45日輙ち癒ゆ蓋し高湯は此の温泉の源湯なり是に於て綱景(景綱?)深く其効験を知るも原湯此を去る○貮里(にり)余或は天の樫むるが如く雲林掩障行路頗る(すこぶ)る艱(なや)む以為らく此湯を庭坂本村に引かば病者も憾みななかる可しと乃ち自から村民を勧(?)め功を明治18年5月27日に起こし同年10月25日に竣ふ資金貮萬有余圓温湯地中より本村に至りて沸々数所の浴槽に湧く人争ふて来り浴す老者為めに健に病者為めに癒へ復た昔日の憾なし民物日に殖す嗚呼此舉人に恵する決して浅々に非らず福島病院長磯弁之を分析せしに左の諸病に最も効験ありと曰ふ
(効能中略)
此湯の泉源は吾妻富士の傍に在り北の沢懸樋及び懸樋長百間なる所を経天戸川の上に渉り諸湯槽に分派す而して当時開設したる旅亭湯室は内湯共同館北川屋米澤屋廣淋樓あり○来漸時繁華に及びたりと云う
路巾5間左右に民屋あり又3尺可りの溝を穿ち双方石を以て○き此を名だ柴山道といふ17年○○○○○○○三島通庸来り○す○屋○て曰く○○ては殆(?)ごと日本第一なりと賞賛せり

 三島通庸が日本第一なりと賞賛したとか、湯町の道路を柴山道といったりするということを地元で聞いたことはない。
 
by shingen1948 | 2014-06-14 05:44 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)