地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~天戸堰~天戸大堰の風景②と二枚橋情報

 「石橋銘評」の石塔から、二枚橋の地名にこだわってみると、旧米沢街道大森道を大堰が横切る橋とかかわるらしいという「「野田村郷土史」の地名情報。
a0087378_8331968.jpg それで、天戸中堰整理中だが、今回は天戸大堰が旧米沢街道大森道を横切る風景を整理する。
 これが、その取水口から水路をたどって、旧米沢街道(大森道)が見えてくる頃の風景。堰の前を横切っている道筋が、米沢街道(大森道)だ。

 先に「のりしろ散歩~上野寺散策に米沢街道(大森道)の散策を重ねる⑤天戸川の堰」として、天戸大堰の取水口を整理しているので、天戸大堰としては「その2」ということにした。
 http://kazenoshin.exblog.jp/19786335/
 寛政9年(1797)「上野寺村絵図」を見ると、この辺りで橋が架かるのは、上堰と大堰が旧米沢街道大森道を横切るこの2カ所だけのように読み取れる。
 「野田村郷土史」は、その大堰が米沢街道大森道を横切るところに架かる「大堰の橋」が、二枚橋の地名語源だとするということだ。
a0087378_8354664.jpg ここが「大堰の橋」と思われる大堰が米沢街道大森道を横切るところ。現在は橋というイメージはない。

 「二枚橋」の地名由来でネット検索してみると、この地名とかかわるところは結構多いようだが、ここ上野寺の二枚橋地区の由来は見つからない。直ぐにかかるのが「小金井市二枚橋の大蛇伝説」情報。

 県内では、「福島県相馬郡飯舘村二枚橋」にかかわる情報。
 「飯館は合成地名だった」という中に、川をわたるのに二枚の板など渡して作る粗末な橋だが、村の人にとってかかせない生活上重要な役目を担ったものだろうとあった。
 http://www.musubu.jp/chimeiiidategousei.htm
a0087378_836439.jpg これは、この「大堰の橋」のやや南の地点に建つ名号塔。これが吾妻学習センター前の案内図にある宝暦の名号塔ということになるようだ。

 東北という範囲での「青森県むつ市大畑町二枚橋」にかかわる情報を続ける。
 http://ss.fs21.jp/2012/03/post-235.html
 「朝夕の明けぬ前に起きて大きな吊鍋をかけて、その中に精米と稗か粟を三対七位にして焚いて精米の分は沖に働く男達に持たせ、稗や粟は家に残る子供達や年寄達が食べたということです。この鍋を二枚鍋といい、それからもじって二枚箸となり、更に地形から二枚橋と名付けたといわれている。また、一説によれば部落には上・下狄川があって物資の流通運搬のために、それぞれの川に二枚の木橋を懸けたのが地名になったとも伝えられている。」
a0087378_8394156.jpg 石塔群は、大堰の橋の直ぐ北側の位置に在り、その二枚橋集落の中心的な道筋が街道とつながる玄関口を示す道しるべとしての役割を担うのだろう。
 寛政9年(1797)「上野寺村絵図」をよく見ると、「小字西沢目」と「小字清水田」との小字界を流れてきた水路がこの道筋沿いに走っているように読み取れる。これって、中堰の本流ではないのかなと勝手な想像。
 ということで、再び中堰に戻る。
by shingen1948 | 2014-06-09 08:42 | ◎ 水 | Comments(0)