地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~天戸堰~天戸中堰の風景③~二枚橋


 熊野神社は、微高地形の集落「二枚橋」の北西地点であり、中堰が流れてきて、そこから縁沿いに回り込むという地点に建つ。
a0087378_6155311.jpg
 これは、旧米沢街道大森道沿いに建つ石塔群から集落に向かう道筋から、その熊野神社に向かう参道だ。
 奥に、その熊野神社が見える。
 旧米沢街道大森道を散歩している時には気づいていていなかった。

 微高地形を南に回り込んだ中堰は、江沿との小字界に沿うように東側に回り込んでいく。
a0087378_6171843.jpg その堰が、この集落を旧米沢街道と並行して南北に走る道筋を横切る地点に、明治時代の「石橋銘評」という石塔が建っている。右手に写るのがその石塔だが、この道筋を横切るところが石橋だったのだろうと想像する。その石橋との関連かなと思う。
 二枚橋という橋にかかわる集落名の近くに建つ橋にかかわる石塔ということで、当然それにかかわる石塔かなと思いこんでしまったところがある。
 頭にあったのは「野田村郷土史」の「二枚橋」の地名由来があったなということ。家に戻って確認する。
 二枚橋
 昔は、庭坂から下村に通る街道が、米沢方面から江戸へ上る主要道路で、字大橋の地にある大堰の橋が、二枚の大石橋なので、この名が地名となった。古い道の橋は今でも二枚の石橋が多く、二枚は一対又は夫婦という吉相から出たと伝えられてある。
 ここでいう「庭坂から下村に通る街道が、米沢方面から江戸へ上る主要道路」は、旧米沢街道大森道のことだろう。「字大橋の地」は確認できないが、「大堰の橋」とあるので、大堰が米沢街道大森道を横切る地点のことだろうと想像する。この橋が二枚の大石橋であったという事が地名の語源ということのようだ。
 微妙に違うなと思う。この「石橋銘評」がかかわるとすれば、「古い道の橋は今でも二枚の石橋が多く」の部分かなとも思うが、今のところ確認できていない。

 それにしても、上堰から分流する水路はいくつもあるのに、ここだけが中堰と別呼称があるのはこの「二枚橋」集落とのかかわりかな。
by shingen1948 | 2014-06-08 06:23 | ◎ 水 | Comments(0)