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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~110.6mの三角点のある丘②と福島煉瓦工場

 この丘は、先に「のりしろ散歩~米沢街道の一里塚情報」との絡みでみたこの丘で、「岩代清水の泉と池をめぐり」とのかかわりで、「110.6mの三角点のある丘」でもあったということだった。
のりしろ散歩~110.6mの三角点のある丘②と福島煉瓦工場_a0087378_5125447.jpg 更に、この風景が「福島煉瓦工場」ともかかわるらしい事が、今回の散歩で分かった。
 吾妻学習センター前の「吾妻地区史跡・文化財案内板」の地図を眺めていたら、この「110.6mの三角点のある丘」の位置に、「旧煉瓦工場跡【三角点】」がプロットされていたのだ。

 「旧煉瓦工場跡」は、「歴史地図」のプロット位置を参考に、新道沿いの地点と、東北自動車道脇の二か所を確かめている。しかし、この位置を意識していなかった。
 それで、もう一度「歴史地図」の「旧煉瓦工場跡」のプロット位置とそのメモを確認したら、確かにメモの→が、この三角点のある丘の方向を指していたのだ。この→の見逃しということらしい。

 「旧煉瓦工場跡」を確認しようと歩いてみた事は、「福島の建築 ⑬」で整理している。ただ、この時点で、ここだという確たるものは得られていなかった。
 http://kazenoshin.exblog.jp/9828468/ 
 その福島煉瓦にかかわる碑が信夫山に建っている。それを「信夫三山~福島煉瓦業の碑」で整理している。ただ、風化の為、そこに書かれている内容は読み取れなかった。
 http://kazenoshin.exblog.jp/10675702/ 
 その内容については「建碑考」に頼ったのだが、その事を「福島の建築 ⑪-2~『福島煉瓦業の碑』」で整理した。
 http://kazenoshin.exblog.jp/10682047/
 更に、福島の建築 ⑪で、「煉瓦造り」の「山神」について整理しているが、その中でも煉瓦工場の沿革についてふれている。この風景は、明治期にこの地区に煉瓦工場があったことの誇りの象徴のようなもの。
 http://kazenoshin.exblog.jp/9797232/
 工場閉鎖が、昭和41年との事なので、自分が福島とかかわる頃まではこの工場の原形がこの風景の中にあったのだろうと思われる。

 その福島煉瓦とのかかわりを意識して福島の建物を整理しているが、最初に整理したのが第一勧業銀行福島支店の建物。
 以下のように整理している。
 〇 福島の建築 ⑪-3~第一勧業銀行福島支店
 http://kazenoshin.exblog.jp/10688184/
 〇 「福島の建築 ⑪-4~第一勧業銀行福島支店②と福島煉瓦と」
 http://kazenoshin.exblog.jp/10694405/ 

 他に、福島煉瓦とのかかわりを意識して整理したのが、以下の建物。
 〇 福島の建築 ⑪日赤病院跡地
 http://kazenoshin.exblog.jp/9807554/
 〇 福島の建築 ⑫ 伊達亀岡総本家
 http://kazenoshin.exblog.jp/9816999/
 〇 福島の建築 ⑮「外国渡航記念燈」
 http://kazenoshin.exblog.jp/9879334/
 〇 福島の建築 ⑭吉野家
 http://kazenoshin.exblog.jp/9839090/
 〇 「渡利浄水場建設の際にレンガを積んだ馬車が行列になったそうだ」という情報もいただいた。また、「旧煉瓦工場跡」を確認しようと歩いてみた事を整理した「福島の建築 ⑬」の後半で、奥羽本線庭坂駅の煉瓦の建物について整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/9828468/
 「福島の建築 ⑭―2~吉野邸」でふれた「稲葉組煉瓦工場」は、昭和3年10月時点で、主として創立当初の字山神の東部の工場にふれているが、ここでいう新工場が、ここを指すのか、その手前の位置を指すのかは現時点では分からない。
 http://kazenoshin.exblog.jp/10700816/
by shingen1948 | 2014-05-25 05:22 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)