地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~のりしろ散歩~金兵衛堰(新堰)水路をたどる②

 金兵衛堰(新堰)を追って「字舘」地内に入った堰が、この地域を潤す堰の本流ではなさそうだ。現高湯街道の南側を走る道筋に沿って流れる堰がこの地区を潤す堰の本流だと思われる。
a0087378_16523113.jpg それで、その堰と道筋をたどって西に進むと、「弘安の板碑」を見つけ直した墓地の手前で行き止まり、そこから左に回り込んで、旧米沢街道沿いの水路になっている事が分かる。
 この写真の手前の道筋が米沢街道(大森道)で、その街道に沿って流れていた水路が、ここで街道を逸れて北に向かう。ミラーのある角が見えるが、水路はそこを左折した道筋に沿って東に向かって流れていく。この道筋沿いの水路が「字舘」地内の真ん中を走るのだが、これが、この「字舘」地内を潤す堰の本流だと思われる。
a0087378_1656374.jpg 旧米沢街道(大森道)を視点に見れば、舘橋を渡った街道は、金兵衛堰沿いの道筋を進み、そこから「字舘」地内を潤す堰沿いの道筋に向かって進むということでもある。
 地図上に表してみるとこんな感じで、先に旧高湯道とイメージを重ねた旧米沢街道(大森道)だが、更に天戸川から取水した堰の流れのイメージが重なるということだ。そして、この堰が福島用水のイメージとつながっていくという感じかな。

 この道筋の北側の現高湯街道沿いの堰も太い水路が走っている。
a0087378_1702124.jpg 「野田村郷土史」が、「この地は低く、方々から水が寄合ってくるので、この名がつけられたが、土地の人は訛ってセセナキと呼んでいる。」と解説する「字寄合水」は、この辺りだろうか。

 金兵衛堰(新堰)水路をたどった視点は、福島用水に金兵衛堰(新堰)等から取水された水が加水されるという観点だった。
 しかし、実際に歩いてみると、直接的にこの堰で取水された水が直接的に加水されるというイメージでは捉えきれないようだ。
 河岸段丘的な地形の土地が、金兵衛堰も含めた上堰・中堰・大堰等の天戸川から取水した用水によって潤うのだが、その事によって天戸川の伏流水の水量にゆとりができるという事になり、そのゆとりによって生じた水が福島用水となって流れていくという感じなる。
 これって、「福島市史」が描く福島用水に近いイメージかな。
by shingen1948 | 2014-05-22 17:01 | ◎ 水 | Comments(0)