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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~金兵衛堰(新堰)水路をたどる

 今回の整理では、福島用水に金兵衛堰(新堰)等から取水された水が加水されるという観点で見ている。
a0087378_17525444.jpg 金兵衛堰(新堰)取水口付近については先に整理したが、その後をたどってみると、ここで旧米沢街道の道筋を横切る。そして、そのまま旧米沢街道の道筋に沿って「字舘」方向に流れて行くことになる。
 道を横切るまでは、この堰ははっきりとしているのだが、舘地内に入った用水の行方は分かりにくくなる。
 ここで用水が利用されるため、水路は分岐していくらしいように見える。この字舘地内を潤す用水の本流は、この北側の道筋に沿った用水のようだが、そこに流れ込む分もあるように思えるが、その本流の南側の地で活用される分もあるようでもある。
a0087378_1812053.jpg それでも、少なくともこの河岸段丘風の地形のもっとも南側をながれる水路も、その一つの流れである事が分かる。

 この流れをたどっていくと、先に「歴史地図」に紹介される旧高湯道の道筋につながっていく。その道筋に合わさる付近を眺めて見ると、「歴史地図」に紹介される旧高湯道の道筋がどちらの道筋かと迷った地点だった。
a0087378_1825961.jpg この水路が、字下釜の河床的な地形に向かって流れて行く。
 これ等が福島用水の加水される水の一つというのが、今回の見え方だ。

 これが「福島市史」では、別の見え方らしいと思われる。
 「幕末頃の両上野寺・下野寺(本郷・分郷)・両笹木野(御領・私領)八島田要図」も照らし合わせてみると、天戸川の上堰→中堰・大堰、そして、金兵衛堰(新堰)を福島用水取水口としているようにうかがえるのだ。
 「福島市史」は、上野寺の堰について解説した後、この「福島用水」について、以下のようにふれている。
 このほかに上野寺で、天戸川の水を引き同村の下釜で坂下清水をも利用する福島用水があった。これは福島村で城の堀にも引くほか、街心渠(町用水堀)に引いて飲料にも使うものであった。福島では祓川の水も使ったが、これは季節によっては渇水で困ったという。
 ここに「幕末頃の両上野寺・下野寺(本郷・分郷)・両笹木野(御領・私領)八島田要図」も照らし合わせてみる。
 その図では、天戸川から取水した用水と福島用水がつながって表現されている。福島用水の取水口として整理した「上台」付近では、下釜からの堰から流れてくる筋とここで合わさるというように表現される。
 その下釜からの堰だが、描かれる河岸段丘と照らし合わせと高速道路の直ぐ脇付近のように思われる。「同村の下釜で坂下清水をも利用する福島用水」とあることと合わせて見れば、そこに「坂下清水」というのがあるらしいという事になる。「歴史地図」でも、「坂下清水」がプロットされているが、その位置が河岸段丘的な地形の上なのかどうかがよく分からなかったところだった。
 高速道路脇から水が湧き出す風景は見ていたが、用水が河岸段丘的な地形から河床的な地形の所に落ちるのにサイフォン的に湧き出したのかなという思いでみていた。
 これが下釜で利用する「坂下清水」とかかわるものなのかどうかは、今のところは分からない。
by shingen1948 | 2014-05-21 18:05 | ◎ 水 | Comments(0)