地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~福島用水の取水口付近の風景②

 現在の福島用水取水口付近は、こんな感じの風景だ。
a0087378_1721026.jpg 「福島市の方木田茶屋下線(下野寺工区)の道路計画」の「付近の遺跡」の項に、この福島用水路(御用水路)が解説されているのを見つけた。
 福島町に入った御用水路は、福島市内の字原田で二分され、一部は福島城(現県庁とその付近)外堀並びに町方用水にされる。もう一方は、福島町、曽根田、五十辺方面の開田用水となって流水する。方木田茶屋下線(下野寺工区)の道路は、その福島用水が二分される「字原田」地内を通る。その事とのかかわりで解説されたもののようだ。
 当方の興味は、この福島用水路(御用水路)取水口の風景が、福島町の視点ではどんな風に描写されるのかということ。
 こんなふうに解説されている。
 元禄15年(1702)福島藩初代板倉重寛から明治新政まで、12歴代藩主は領内の殖産振興を図るための治水開田に意を注ぎ、4粁先(竹の内前)天戸川より引水の為掘削したのが御用水路である。取水口には番所がおかれ、役人(水守)がいたのである。
 現地の資料で見た水番についての情報は、天戸川上堰の水不足時には使用しないで通水させるための地元民の水番だけだ。この取水口の水番にふれた資料をみない。
 福島町の視点から新たに見えたことは、ここに番所がおかれていたことと、そこに役人の水守がいたという事。
 福島用水が二分される「字原田」にも「番所」が設けられて厳重な制水管理していたようであり、「取水口の番所」の水番も厳重な制水管理ともとれる。しかし、福島町用水として御用水として使用するのは、生活用水に供する大切な水であることがイメージされる。水質管理体制のための水守という側面の想像が加わる。

 逆に、この情報で曖昧になるのが取水地の位置情報かな。
 ここでは、その取水地を「『竹の内前』の天戸川より引水」と表現する。しかし、「竹の内前」を流れる川筋の本流は須川であり、天戸川の本流は米沢街道と高湯街道が分かれる手前付近でこの須川に合流している。
 よそ者の散歩人のような立場の者にとっては、この解説をそのまま鵜呑みにしてしまうと、福島用水の取水位置が、金兵衛堰(新堰)と捉えてしまう可能性がある。地元をよく知る人でなければ、この表現からこの須川右岸の河床的な地形のところから天戸川の伏流水が湧き出て流れた小川を指していると読みることは難しいだろうなと思う。
by shingen1948 | 2014-05-19 17:28 | ◎ 水 | Comments(0)