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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「弘安の板碑」~「のりしろ散歩情報の修正」

 先の「のりしろ散歩~上野寺散策に米沢街道(大森道)の散策を重ねる」の中で、「歴史地図」にプロットされる中世の板碑についてふれたが、違っていたので修正する。
a0087378_3175326.jpg 「弘安の板碑」は、米沢街道脇の墓地の中にあって、そこに案内柱が立っていた。
 ここは、大林寺の県道福島吾妻磐梯線を挟んだ向かい側にある墓地の一角で、旧米沢街道沿いでもある。
 「野田村郷土史」が「弘安の板碑」について「前同の地(上野寺字舘)、天満宮の境内にある」と記していたが、「福島市史」の上野寺の本郷・分郷の解説の中に以下のように、この天神社がなくなっていることが記されていた。
 本郷は、村の西端から天戸川・須川ぞいに東にのびて、竹ノ内・堀之内・道下におよぶ。本郷の産土は、今はなくなった大林の天神社である。
 「野田村郷土史」が、前同の地として上野寺字舘を指したものを字大林の誤記とみれば、「今はなくなった大林の天神社」もこの付近なのではないかと想像する。
 「野田村郷土史」の「弘安の板碑」についての解説を再掲する。ただ、現況から、その所在地は抜く。
 昭和10年10月、福島中学校教諭文部省史跡名勝天然記念物調査委員、堀江繁太郎先生が調査された結果、阿弥陀如来の碑で中央上には梵字、その下には弘安拾年大才丁亥二月時正、幸子とあることが公表されていた。現存する本村最古の碑である。
 実際には、「中央上には梵字」は分かるが「弘安拾年大才丁亥二月時正、幸子」とあるということを意識して眺めてみても読み取ることはできない。
 なお、「福島市史」に掲げられる「古い供養碑」の情報は、次のようだ。
 〇 弘安10年(1287)2月の碑 上野寺大林 孝子敬白(大林寺境内)
 〇 正応4年(1291)8月の碑 笹木野字小針(地蔵堂境内)大日如来
 〇 応永5年(1297)の碑 野田町清合内(元八島田)
 〇 応永21年(1414)の碑 上野寺字大林(もと菅原神社境内にあった)

 分かったことと分からない事を整理する。
 〇 「歴史散歩」の情報と重ねれば、「応永21年(1414)の碑」も、「弘安10年(1287)2月の碑」の脇の集められた石塔群の中なのだと思うが、分からない。
 〇 「のりしろ散歩~上野寺散策に米沢街道(大森道)の散策を重ねる」でふれた二つの碑は、これらとはかかわらない別の碑であるということでもある。
 〇 「福島市史」の「今はなくなった大林の天神社」=「上野寺の本郷の産土」という関係であること。これは「釈迦堂(上野寺佐々江地内)由来」にあった「大林寺境内に移った天満宮」をも指すということでもある。「福島市史」が「応永21年(1414)の碑」の所在地を「もと菅原神社境内」とするが、その「菅原神社」も同じ神社を指しているものらしいと想像される。
by shingen1948 | 2014-05-14 05:16 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)