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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~上野寺散策に米沢街道(大森道)の散策を重ねる③高湯道と米沢街道(大森道)

 米沢街道(大森道)が、「舘下橋」で川を越え、右手の道筋に沿って西に向かって進む。その道筋は元高湯道の道筋と重なるという事のようだ。
a0087378_573915.jpg その米沢街道の東側を振り返ってみれば、こんな風景になる。「歴史地図」では、この道筋が元高湯道の道筋だと記す。
 この左手に見える石塔群の中に、「歴史地図」が「『舘のみちしるべ』カマド神右福島・左米沢・嘉永5年(1852)」とのメモを記す竃神の石塔がある。手前から3つ目の石塔だ。


a0087378_581633.jpg これがその「竃神」だ。
 確かに、右福島・左米沢が読める。嘉永5年(1852)を確かめるのは忘れた。
 この道筋の現況は、河岸段丘の縁を進んで、高速道路付近で河床に降りていくようになるが、その先の元高湯道の道筋との関係を考慮すれば、河岸段丘の縁に沿って回り込んで進む道筋だったのではないかなと想像する。
 その間の道筋は曖昧なのだが、これが野寺古寺跡を通って、現県道福島吾妻磐梯線のやや南側を走る道筋になっているような気がする。勝手な想像だが、……。

 それはさておき、この事から「舘下橋」から吾妻公民館支所までの米沢街道(大森道)が、高湯道と道筋が重なっている事が分かる。
 吾妻公民館支所から再び米沢街道(大森道)と高湯道に分岐するのだが、その道筋に、元高湯道のバイパス的に進んできた県道福島吾妻磐梯線がつながって、その道筋が高湯道と重なって西に向かう道筋になっているというイメージだ。
 ただ、「天保国絵図」に描かれる米沢街道(大森道)と分岐後の道筋は二子塚までであり、「舘のみちしるべ」が案内するのも米沢街道(大森道)とのつながりのようだ。 
 高湯道との呼称ではあるが、高湯への道筋である事だけにこだわっていないのかもしれない。
 野寺村には、米沢街道(大森道)と米沢街道(福島道)の二つの米沢への道筋が走るのだが、その差別化のための呼称であるという側面もあるように思う。
 高湯への道筋と重なる米沢街道(大森道)という意識なのかも、……。

 高湯街道を確かめると、高湯道筋としては元禄時代にはすでにあったのだとか。
 ただ、高湯街道として整備されるのは、明治20年(1887)に信夫郡役所を中心として福島町が整備された時に、三島県令によって福島用水と並行して下野寺を経て高湯に至る道路が計画される・それが、明治25年(1892)に完成されたということのようだ。これが、現県道福島吾妻磐梯線の原型ということらしい。
by shingen1948 | 2014-05-10 05:19 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)