地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

のりしろ散歩~上野寺散策の散策に米沢街道(大森道)の散策を重ねる

 米沢街道(大森道)は何度も散策しているが、この付近で整理されているのは「舘下橋」附近だ。「舘下橋と米沢街道大森道」と題して、舘下橋までの道筋について整理している。実際には、この荒川~舘下橋までの区間の道筋は土地の改良によってよく分からなくなっている。
 http://kazenoshin.exblog.jp/7292413/ 
 「舘下橋」から庭坂に向かう米沢街道大森道の道筋は、「隅ケ城二重壕跡辺り」の後半でふれている。
 「このあたりの歴史的に主要な道路は、橋を渡って左に折れる道」筋で、この辺りの激しい道筋の改修にもかかわらず、この道はまだ街道の道筋の趣が残っているとしている。
 http://kazenoshin.exblog.jp/7281655/
a0087378_1893140.jpg その先は、県道福島吾妻磐梯線に合流するが、公民館支所の脇で直ぐに右に分かれて、庭坂宿を目ざして田園風景の中を北西に進むようになる。
 その合流地点附近の草むらの中に石碑がある。これが、「歴史地図」にプロットされる中世の板碑だとすれば、右側が応永21年(1414)、左側が弘安10年(1287)と記される板碑という事になる。
ただ、刻まれている事柄を読み取っていない。もう一つ不安なのが、「野田村郷土史」に「弘安の板碑」について、以下のように記されている事だ。
 「弘安の板碑」
 前同の地(上野寺字舘)、天満宮の境内にある。昭和10年10月、福島中学校教諭文部省史跡名勝天然記念物調査委員、堀江繁太郎先生が調査された結果、阿弥陀如来の碑で中央上には梵字、その下には弘安拾年大才丁亥二月時正、幸子とあることが公表されていた。現存する本村最古の碑である。

a0087378_18104854.jpg 所在地が違う。別の碑なのかもしれない。この辺りを整理していない理由の一つにこの?を確かめてからということがあったように思う。

 今回、野寺の情報を求めて歩いて感じたのは、為政者が幕府直轄だったり、遠方だったりすることと、その為政者に特に重視されていた土地柄という事でもないので、昔を知るための資料には乏しいという事。昔を知る手掛かりは、寺の資料とか伝承とか、石碑などの遺物から読み取れる事ということに限られてくる。それで、寺や石碑の情報が多いらしいという事かな。

 今まで散策した上野寺附近の情報に、先に散策していた米沢街道(大森道)を散策して、整理したことを地図上に重ねて表記する。

 なお、荒川の南側の「名倉城」あたりの米沢街道(大森道)も、「名倉城③~近世米沢街道(大森道)」と題して、「名倉城」の役割の考察の中で整理している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/8159498/
by shingen1948 | 2014-05-08 18:12 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)