のりしろ散歩~野寺情報を求めて上野寺を散策する②
2014年 05月 07日
集落と集落を結ぶこの現大林寺への道筋が本道という見え方からすると、米沢街道(大森道)は、そのバイパスという感じにみえる。そんな道筋だ。その道筋を進むと、現大林寺の後ろ側からの風景が見えてくる。
現大林寺は、「のりしろ散歩~野寺情報を求めて追分を南へ進む⑤武隈稲荷②」で整理した上野寺字和田の稲荷山での「大林寺」の歴史を背負いながら、万治元年(1658)に上杉の家臣河田杢之助の力により現在地に堂宇を再興し、寛文5年(1668)に鳥渡観音寺清海和尚により中興開山して以来この地に建つということのようだ。
その大林寺正面に回り込んで参道にでると、その右手に「水子地蔵堂」と「子安観音堂」が並んで建っている。
その「子安観音堂」について、「野田村郷土史」では「大林観世音堂」として、次のように紹介している。
大林観世音堂上野寺大林寺の三十三観音札所としては、大林寺沿革などとも照らし合わせて、信達坂東33観音の23番札所というイメージが強かったので、最初「信夫第13番札所」は誤記かなと思ったが、そうではなかった。確かに、江戸期に開創されたという信夫郡の西国三十三所とする旧信夫三十三観音第13番の札所のようだった。
上野寺大林寺境内にある子安の観音堂で、信夫第13番の札所として知られている。御縁日や二十三夜の御籠りには、境内の林間から響いてくる御詠歌の唱和を聞く度に、仏徳の有難さを感じさせられる。
これらの情報と散歩しての感覚では、「勢至観音堂」の標札や御詠歌のかかわりから「信達坂東33観音の23番札所」は「勢至観音堂」で、「旧信夫三十三観音第13番の札所」が、この「子安観音堂」なのではないかなと思えてくるのだが、本当のところは分からない。
なお、「福島百八地蔵尊霊場めぐり」の6番に、隣の水子地蔵が位置するという情報を目にしたことがある。