[地域の活動や情報]の欄を整理する②
2014年 05月 05日
しかし、東京電力の原発事故で、旧来の公共のためとのお達しにお上に逆らえない姿勢では、都会の中央エゴ論からその被害を免れることはできないことが明らかになったように思えた。
現在は、福島自立更生促進センターの南側に、原発事故被災者の仮設住宅が建ち、近くに立てられていた反対運動の旗はいつか消えていた。「福島市街地周辺地域の安心を守る住民の会」のページ自体も、2013/02/28から更新がないようだが、つながせていただく。
http://f-anshin.com/
地域の散策と「福島自立更生促進センター」とのかかわりを整理しておく。
法務省が刑務所の仮出所者の受け入れ施設「福島自立更生促進センター」を福島市に開所しようとして、建設地の地域住民と対立したのは、2010/3/8頃だった。
この施設が必要であることは、多分誰にも異論がないのだが、それが自分の近所に造られては犯罪が起こりそうで困るという施設でもあるということだ。
この事について、散歩で目についた看板をもとに、「福島自立更生促進センター考」として整理したのが2011/1/1だった。
http://kazenoshin.exblog.jp/11820832/
その問題の本質は、大義に異存はないが、自らがそのマイナス要因を被る立場になった時にどうするかということだ。
その経緯をみると、保護観察所は06年夏に、概要を市や近隣町内会長に説明していることが分かる。ここで大きな反対運動もなく、08年1月に着工し、同7月に完成させている。
推進者の説明によると、開設を見合わせた他所との違いは、反対運動がなかったとのことだった。都会では、市や近隣町内会長に説明した時点で、しっかりと反対の意思表示をしたが、福島市や近隣町内会長はそれができなかったということだった。
この時点では、強引に開所に踏み切ったという背景から、その推進者の誠意に?をつけて整理した。
散歩の中では、その推進者の説明で地域が学んだことは、とりあえず絶対反対をすることの大切さということだというふうに見えた。そのことを「福島自立更生促進センター考②」で整理した。
http://kazenoshin.exblog.jp/11826592/
「福島自立更生促進センター考③」では、受け入れ体制の充実が「待ったなし」の状態なので、この時点で、中央エゴの論が勝利する結末は分かっていた。大手中央紙は、大義のために、そのマイナス要因を被る可能性の立場はさておいて展開すべきとの説教論が主流になっていた。
http://kazenoshin.exblog.jp/11832462/
震災を通して学んだのは、都会の中央エゴ論からの被害を免れるには、たとえ公共のためのお達しといえども、言うべきことをしっかり言わなければならないということかな。