地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~野寺情報を求めて追分を南へ進む ⑥ 釈迦堂

 「釈迦堂(上野寺佐々江地内)由来」の案内から、「釈迦堂」自らについての解説を確認する。
 上野寺村史及び大林寺史書等を紐解いて私考するに、上野寺稲荷坊屋敷にあった大林寺に附属御堂として天満宮、釈迦堂の二つがあり、万治年間(1658~1660)上杉家臣河田杏之助により、大林寺が現在の地に移転造営の際、天満宮は大林寺境内に移り、釈迦堂は現在地に移転、その後、延享元年上野寺村分村時に天満宮(維新後は菅原神社)は上野寺本郷の産神となり、釈迦堂は分郷の鎮守となった。
 祭礼は、毎年旧4月8日代々大林寺住職祭主となり執行。
a0087378_6481115.jpg 「野田村郷土史」の案内では、本来的にこの地というイメージが強い。「当地を釈迦堂と呼び、かなり古い名刹である」としていて、300年の歴史を持つしだれ桜と共に紹介される。そこを、大林寺が現在の地に移転造営の際に、天満宮は大林寺境内に、釈迦堂は現在地に移転されたとの解説されるのだが、この移転説でも300年以上の時を刻んでいて、しだれ桜と共に本来的にこの地に鎮座していたというイメージが崩れることはなさそうでもある。
 大林寺が現在の地に移転造営の頃の大林寺の沿革は、以下のようなことだった。
 ・ 承応年間(1644頃)に火災にあい、堂宇は悉く焼失し旧記も焼失した。
 ・ 万治元年(1658)に上杉の家臣河田杢之助の力により現在地に堂宇を再興。寛
 ・ 文5年(1668)に鳥渡観音寺清海和尚により中興開山し現在に至る。

 案内板では、境内にある「南無阿弥陀仏」の供養塔も以下のように紹介される。
 「南無阿弥陀仏」の供養塔は、延享3年(1743)とあり、側面に「左ぬるゆ」、「右たかゆ」と記されてある。(福島市文化財調査報告書第13集参照)a0087378_6512465.jpg
 これが、「歴史地図」で「名号道しるべ左ぬるゆ右たかゆ」のメモで紹介さたものと同じものなのだろう。
 境内を見回すと、北側に並ぶ石塔群の北西端にこの「南無阿弥陀佛」石塔がある。その左に「延享3虎年」と右に「10月」が読める。ただ、「左ぬるゆ右たかゆ」はちょっと読みとれない。

 書かれている事からは、東側を向いた方向から南北に走る道筋の案内と読み取れる。ということは、西側から進んできた道筋と南北に走る道筋の交点に建ってその道案内をした石塔との想像はできるが、この道標の旧地は知らない。
Commented by 劇団120◯EN セイノ at 2014-04-30 17:48 x
はじめまして。福島市内で演劇活動を行っている劇団120◯ENの清野と申します。
当団は、福島市の民話や史跡をモチーフにした作品を上演しており、20代前半のメンバーで活動しています。
シンさんのブログで福島市の沢山のことを知るきっかけをいただいおり、これまでも、信夫の三狐の長次郎や、文知摺の姥ヶ梅などを取り上げた作品をさせていただきました。
きっかけをくださった、ご挨拶、御礼が今更になってしまい申し訳ございません。

さて、次回当劇団は、松川合戦を題材に上演させていただく予定です。ただ、松川合戦についてはその実、様々な説があり、どの視点から作品を創るか悩んでいます。

もしよろしければ、松川合戦について、実際に長年福島市を歩かれているシン様にご教授いただけばと思っています。
もしよろしければ、下記メールアドレスまでご連絡いただければ嬉しいです。
k.aoihito@gmail.com

怪しいものではありません…。
念のため過去公演の映像のurlを掲載せていただきます。

劇団120◯EN
第11回公演「しろ」より
(信夫文知摺の虎女(鎌倉期)と、佐藤四郎左衛門顕秀をモチーフ)
http://youtu.be/PqVYFlALUh4
Commented by shingen1948 at 2014-05-01 18:11
コメントありがとうございます。
当ブログが、貴会の創造的な活動にかかわれたらしいという情報を頂けてうれしいです。
地域性にこだわった題材や公演場所の選定という貴会方針は、自分のこだわりにも通じ、共感を覚えました。勝手な見え方ですが、地域性にこだわった公演場所の感覚は、若い頃見ていた状況劇の感覚につながっていくような気もします。
次回作松川合戦とのことですが、その題材に諸説あることについては、創作者が感覚的にぴったりするものが、真実ということで構わないのだと思います。
専門的に「松川合戦」の通説に疑問を呈した方のブログを紹介しますが、現在は「歴史と旅のダイアリー」とのテーマはそのままに温泉ブログで遊んでいらっしゃるようです。もとはここに「松川合戦」の通説と疑問点が整理された記事もありましたが、今回覗いてみたら消されたようではあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/tenchijinstage/ 

Commented by 水熊 at 2014-05-04 00:33 x
劇団120◯ENさんへ

地元の民話や史跡をもとに創作劇を上演されるとは、すごいですね。
シンさんが紹介されているブログ主さんは、論考をまとめられています。
○福島県文化振興事業団編『ふくしま発信 直江兼続と関ヶ原』(福島県文化振興事業団、2011年)
また、ご存知かも知れませんが「松川の合戦」をモチーフにした小説があります。
○風野真知雄『奇策―北の関ヶ原・福島城松川の合戦』 (祥伝社、2003年)
両方とも県立図書館に所蔵されていますので、ご参考まで。
Commented by 劇団120○EN at 2014-05-07 23:42 x
シン 様
「感覚的にぴったりするものが真実」。励みになる言葉です。歴史を知ることで、この街中に物語があふれていることを知る。物語を知ることで、この街が楽しくなる。僕たちのお芝居を見た若い人たちに、子どもが出来た時に、「信夫山にはこんな物語があってね―」なんて話をしたら、未来の子どもたちも地元が好きになる、誇りに繋がる… なんてことを想像しながら活動しております。

ブログをご紹介いただきありがとうございます! 松川合戦の記事は見つけることが出来ませんでしたが、福島飯坂と上杉氏の関係の記事など興味深く読ませていただきました!
また、リンクにも取り上げていただきありがとうございます。公式ページが消えてしまっておりましたが、復活しましたので、ご報告させていただきます。今後は、コンテンツとしても劇で取り上げた福島市の歴史、民話、史跡などを取り扱っていく予定です!
Commented by 劇団120○EN at 2014-05-07 23:42 x
水熊 様

書籍のご紹介ありがとうございます!
「ふくしま発信 直江兼続と関ヶ原」、松川合戦があったかどうかの資料として興味深く読ませていただきました!ありがとうございます!
風野先生の小説は、福島の本屋さんにも売っておりましたので購入、読ませていただきました。本庄繁長のかっこよさ、人間としての魅力に引きこまれた作品で、大変参考になりました!ありがとうございます!
Commented by shingen1948 at 2014-05-09 11:04
公式ページの方にリンクを張り直しさせていただきました。
by shingen1948 | 2014-04-30 06:54 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(6)