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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~野寺情報を求めて追分を南へ進む⑤武隈稲荷②

a0087378_554956.jpg 武隈稲荷は、「歴史地図」で、東北自動車道の工事のため東に移されたと解説される。その「武隈稲荷神社由緒」の案内板は、天台宗 稲荷山 吉祥院 大林寺が寄贈したものとのことだ。
 その案内板の中で、大林寺自らについては、次のように説明される。
 西暦800年代に、大洪水があって松川が氾濫、野寺村を横断して大窪谷地を通り須川に合流した。それからこの川を境として上野寺村と下野寺村とに分村し、両村にお寺が建てられました。上野寺村には、元慶4年(881)に、上野寺字和田の稲荷山に「稲荷山大林寺」が建てられました。
 稲荷山大林寺は、万治元年(1658)に現在の大林に移転しました。
 「野田村郷土史」の中に、二つの寺の解説でよく「野寺村が上下2村に分かれた時」という表現をみかけるが、それが元慶4年(881)頃とのイメージらしいことが分かる。もう一つの注目は、「稲荷山大林寺」旧地が「上野寺字和田の稲荷山」との位置情報かな。

 現大林寺の「由緒・沿革」では、次のようにやや詳しい表記がされている。
 当寺は元慶4年(881)に慈覚大師の弟子道叡和尚によって開山されたと伝えられる。
 「天安2年(859)に鳥渡観音堂を開創した22年後に、当寺は現在地より東方約500m離れた和田集落(現在その附近に13仏、坊屋敷等の地名が残っている)に建立開山」とある。
 その後はしばらく無住であったが、承応年間(1644頃)に火災にあい、堂宇は悉く焼失し旧記も焼失した。
 万治元年(1658)に上杉の家臣河田杢之助の力により現在地に堂宇を再興。寛文5年(1668)に鳥渡観音寺清海和尚により中興開山し現在に至る。
 武隈稲荷が建つこの地が和田集落だが、その附近に十三仏、坊屋敷等の地名が残っているとある。これを「福島の小字」でたしかめても「小字坊屋敷」は見つけられないが、「小字十三仏」「小字稲荷」は確認できる。しかも、この地名は現在も残っている。
a0087378_5591820.jpg 解説にあった元慶4年(881)の「稲荷山大林寺」建立地が、上野寺村字和田の稲荷山との事だが、その小字稲荷が、ここに写る高湯街道から東北自動車道吾妻パーキングの南端附近にかけてで、ぎりぎり武隈稲荷付近までだ。
 「稲荷山大林寺」の境内に、寺の守神として「老狐の精霊を担うて来る稲荷明神が祀られた」とする武隈稲荷の解説が重なり、そのイメージに武隈稲荷が東北自動車道の工事のため東に移されたという情報が重なる。
 なお、寺の資料焼失火災を承応年間(1644頃)で解説しているが、武隈稲荷解説にあった火災は、明暦2年(1656)3月としていた。大風のための倒壊が安政5年(1858)10月ともあった。
 これらは、同じ和田集落の出来事ということになるかな。
by shingen1948 | 2014-04-26 06:01 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)