地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~野寺情報を求めて追分を南へ進む④武隈稲荷

a0087378_5323672.jpg 武隈稲荷は、桜が満開だった。というか、野寺情報を求めて追分を南へ進んだもう一つの理由が、満開の桜のみどころを探すという心持もあったということ。写真を確認したら、撮影が4月17日のようだった。
 
 この「武隈稲荷」は、「歴史地図」によれば、東北自動車道の工事のために東に移動されたとのこと。ただ、古い地図で確認しても、その位置の違いは分かりにくい。
 「野田村郷土史」では、次のように解説する。
 武隈稲荷神社
 元村社、上野寺に鎮座、祭神は倉稲魂命を祀り農業の神である。
 創建年代は不明であるが、天正19年(1591)蒲生氏郷の代官、高坂四郎左衛門が社殿を造営した。明暦2年(1656)3月火災に罹り焼失したのを、安永年間に再建した。安政5年(1858)10月大風のため倒壊したのを、万延元年(1860)再び造営して今日に至っている。
 永い間上野寺村の村社であるが、村が本郷、分郷と分かれた時には、分郷の方に属した。
 今まで断わっていなかったが、年代に(西暦)を入れている。元号だけでその時代の前後を見分ける事ができないこともあるし、その確認作業の中で、前後の大きな出来事と対比して楽しんでいる事もある。

 ここには、大林寺寄贈の「武隈稲荷神社由緒」の案内板が建っている。
 「創建年代は不明」というあたりに関わる部分については、以下のように説明している。
 当時は寺を建てるときには、守神としての神様の社も建てられていましたが、口伝によれば、室町時代(1338~1573)に入ってから、稲荷山大林寺境内に「武隈稲荷大明神」が建立されたと言われています。これが、武隈稲荷神社の前身です。
 古書には、「老狐の精霊を担うて来る稲荷明神として祀るとあり、農神「倉稲魂神」の使神として宮を造り阿武隈川の西なれば、武隈稲荷神社として今日に至るという」と残されております。
 なお、「武隈大明神」から「武隈稲荷神社」への改称が、明治2年(1869)とのこと。
by shingen1948 | 2014-04-25 05:38 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)