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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~野寺情報を求めて追分を南へ進む②勢至観音堂

 「勢至観音堂」は、「歴史地図」では次のように紹介される。
 勢至観音堂(勢至堂か観音堂のどちらかだろうが、地元の伝承のまま記しておく)

a0087378_6281399.jpg 「野寺情報を求めて追分を南へ進む」この道筋は、会津に出かける時によく使う道筋で、通勤でも10年程毎日使った道筋だが、「勢至観音堂」を知らなかった。おおよその位置の見当をつけて、近くの道筋を縦横に歩くと、水路脇にそれらしい建物が見つかった。
 その水路を横切り、縦横に走る道筋の痕跡が、この堂への道筋であるらしい事が分かる。
 昭和4年に奉納された額に「南無大慈大(悲?)勢至観世音」が見え、その奉納者等から、「野田村郷土史」で「堀之内観世音大悲堂」と紹介されているお堂と同じと想像する。
 「堀之内観世音大悲堂」
 天文年間伊達左京太夫晴宗が当地を領有していた頃、堀之内には二階堂駿河主がおり支配していた。観世音の信仰篤く大悲堂を建立したと伝えられる。
 「勢至菩薩」を確認する中で、「歴史地図」の「勢至堂か観音堂のどちらか」ということとかかわりそうなのは、「日本では、勢至菩薩が単独で信仰の対象となることはきわめてまれで、多くは阿弥陀三尊の脇侍として造像された」とあることかな。「観音菩薩」も確認してみると、その中に、浄土教では、阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩と共に安置される事も多いともあり、観音菩薩は大慈大悲を本誓とするともある。a0087378_6322720.jpg 深い事情をよく知らない散歩人の感覚では、これ等の諸々の事が、現世利益と結び付けられた信仰と見れば、この勢至観音堂の風景は自然な風景なのではないかなと勝手に思う。

 今回の散策での発見したという感覚は、掲げられた「勢至観世音」の額に「坂東23番」が見える事の方だ。信達坂東33観音の23番札所は、「大林寺」の観音堂のはずだ。これで野寺情報ととつながる風景になったという事。
 この「大林寺」は上野寺の寺であり、しかもその旧地はこの近くだったらしいということでもある。
by shingen1948 | 2014-04-22 06:41 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)