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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~野寺情報を求めて追分を南へ進む

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 小字町続の地蔵尊追分道標の北、西、南が読めるのは、どなたかがなぞったせいのように思うのだが、その行き先が読み取れない。北がふくしま、西がにわさか、南がたかゆと想像するがどうだろうか。旧米沢街道(ふくしま道)は、ここから西に進むことになるが、その前に南に進んでみる。
 この先に、「2代目金子周助建立伝神社・仏堂③」で整理した「小針地蔵堂」がある。
 http://kazenoshin.exblog.jp/19359712/
 「歴史地図」によると、更にその先に進んで、現高湯街道と突き当たるあたりが「野寺発祥の地(古寺跡)」とのことだ。地図で確かめると、その辺りは竹ノ内地内のようだが、その辺りに寺の地図記号が記され、そこに「野寺発祥の地(古寺跡)」とメモされるのだ。
a0087378_4192074.jpg 現地で延命地蔵の宇堂を見つけた。これが寺の地図記号で表記されたものらしいと思うのは、その脇に「古跡 淀内古寺跡」の標柱が建っているからだ。
 ここは、民家の敷地とも公道ともつかないので、遠慮しながら写真だけ撮らせていただいた。

 「野田郷土史」に「延命地蔵尊」として紹介されることと重なるのだろうと推測される。
 「延命地蔵尊」
 字竹ノ内にある。当地は前述のように、野寺の寺があった所なので、本村文化の発祥地である。
 その南奥の墓碑群も、宇堂裏の裏手に見える古碑群と共に、その解説とかかわる風景なのだろうか。
 「野田郷土史」の延命地蔵の解説に「当地は前述のように」とあるのは、泉福寺とのかかわりだろうと思う。
 「野田郷土史」では、下野寺の菩提寺が「薬師山泉福寺(真言宗)」であることを前提にしている。その位置を小字薬師堂辺りと推定しているようなのだが、その別説の一つとして「(小)字鶴巻にあったとする説もある」と紹介している。このこととのかかわるのだろう。
 この見え方は、「歴史地図」の見え方と多少違いがあることが分かる。
 それは、「歴史地図」では、この古寺を泉福寺とイコールであるとは、言い切っていないことがある。もう一つが、この「延命地蔵尊」宇堂辺りが「古跡 淀内古寺跡」とイメージしているらしいことだ。
 「野田郷土史」の見方は、淀内古寺跡が泉福寺であるとし、別説の位置も現小字淀内の南東端の墓地附近をイメージしているように思われるのだ。というのは、「福島の小字」によると、別説として紹介される小字鶴巻は淀内の南東方向にあるはずだが、現在はその小字が見当たらない。現況の小字淀内南東端あたりだと思われる。確かにその辺りに墓碑群があって、その辺りに淀内古寺跡の風景をイメージしているように思われるのだ。
by shingen1948 | 2014-04-21 05:16 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)