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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~米沢街道 町続散策と野寺情報

 笹木野宿の小字を確認すると、野田小附近が小字「町尻」、門屋附近が小字「町」で、愛宕社の附近が小字「町続」。
のりしろ散歩~米沢街道 町続散策と野寺情報_a0087378_5262190.jpg
 ここが、その小字「町続」の愛宕神社だが、鳥居はあるものの古碑群の並びや建物からは、宇堂の雰囲気が醸し出される。
 「歴史地図」では、神社のマークが記されるのみで、メモ表記はない。その前に並ぶ「青麻神などの古碑群」と「追分道標」が表記される。
 「野田郷土誌」では、この愛宕社を寺院に分類し、「愛宕堂」として以下のように解説される。
 愛宕堂
 笹木野町続にあり元愛宕山泉福寺と並んで当地の名刹であった。昔から生糸の市場が開かれたので、毎年その季節には大変賑やかであったと伝えられる。
 ここに「泉福寺」が紹介されるのだが、地域では、上野寺村と下野寺村が分離された時に、この寺が下野寺村の菩提寺となったとされている寺だ。その寺に「元愛宕山」の冠がついて、所在地が小字「町」であるように紹介される事が気になった。
 それで、同誌の中で、泉福寺についての紹介を確認する。
 薬師山泉福寺(真言宗)
 昔下野寺の菩提寺であって、字薬師堂の浄土の辺りにあったと伝えられる。又一説には字鶴巻にあったとする説もあるが今浄土に残っている古碑は鎌倉時代頃のものと推定される古いものであるのと、地名が寺に縁の深い点から見て前者(字薬師堂の浄土の辺り)の方と察せられる。
 気になることとつながるのが、次の解説だ。
 「万治2年下野寺村が分村した際に、この寺を笹木野町の愛宕山に移し、愛宕山泉福寺と改めた」とあり、「この後、笹木野町の大火に焼失したので福島市真淨院に合寺してしまった」とある。

 後半の寺の行方とかかわる火災は、先に整理した「仏母寺」移動や門屋資料焼失の火災と同じかなと想像する。
 「仏母寺」は、この火災で、小学校附近から現在地に移動したとのことで、門屋資料焼失も火災によるものとの情報だった。今のところその時期情報は得られないが、この大火で、こちらの寺は福島市真淨院に合寺する運命をたどるということだろうか。
 前半にかかわる小字笹木野町の愛宕山の正確な位置情報は得てはいないが、「仏母寺」が小字町尻だった事や、小字町続にあるこの愛宕堂の位置などから、小字笹木野町南端近くかなと勝手な推定をしている。
 そんな想像で遊んでいると、愛宕堂が宇堂であるという風景ともかかわるものなのかということも気になってくる。
by shingen1948 | 2014-04-20 05:37 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)