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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~「街道渠」

 「信達ニ郡村誌」では、米沢街道は「清合内より下野寺に入り、3町7間にして復び本村台に入り、西に赴」いた後、「笹木野村の経界を為し16町6間にして桃木町、上台畑の間より西隣より笹木野村に入る」とする。その「地勢」の項に、「(村の)東部に米沢街道を受く」に続いて、「街道渠(渠道に循がって流るを以て名とす)、道に循がって東流す」とある。
 その西南部は「街道渠を以て笹木野村及び下野寺村と界し」とある風景として、「街道渠」も米沢街道の道筋を確かめる視野に入っていた。
a0087378_5201420.jpg
 「街道渠」というイメージで捉えていた水路は、八島田陣屋跡付近の散策に入る手前から街道から外れて、南に回り込むようになる。その「渠」筋は、野田小学校のプール附近で一度見失う。
 その「街道渠」が、野田小学校の正面付近から笹木野宿の道筋を越えて再び現れる。
 見失ったプール附近からこの地点まで校舎と校庭の間を流れるというのが自然な渠筋だと思うが、現況は小学校の北側を流すように改変しているようだ。
a0087378_5212996.jpg 笹木野宿の道筋を横切った「街道渠」は、この地点で分流されている。ここに写る道筋は、仏母寺の五叉路を西に進んだ道筋だが、自分が「街道渠」とイメージした流れは、この道筋を横切って南側に展開する。
 もう一つの流れの方は、この道筋に沿って東流する。こちらの流れの方は、八島田陣屋跡付近から、米沢街道の北側にその流れを展開していくことになる。
 下八島田村附近の「歴史地図」に「野田堰(街道渠)」と記されるのは、こちらの水路筋の本流のようである。本来的には街道の北側の下八島田村や森合村を潤すための堰であり、こちらを本流とするのが正しいのかもしれない。
 街道に沿った堰筋を「街道渠」と勝手にイメージしているのだが、本来の目的からすれば、こちらはその支流ということなのかもしれない。

 この「街道渠」につながる水路の上流だが、これが先に南沢又村の水路を追ってたどり着いた堰筋と重なる。この流れのもう一つの分流筋ということだ。その上流が阿部邸の南側を流れている堰だ。
 また、この散策の時に道標を見つけたのだが、その「ふくしま道」が、仏母寺の五叉路を西に進んだこの道筋と重なり、ここから米沢街道(福島道)につながるということのようだ。
by shingen1948 | 2014-04-18 05:25 | ◎ 水 | Comments(0)