地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~米沢街道附近~円光寺観音堂

 「野田村郷土史」では、円光寺とは別に項を起こし、次のように解説する。
 円光寺観音堂
 八島田円光寺境内にある正観音で、当地方の新西国33カ所中の第30番の札所である。本尊は大きな木造の仏体で堂内の造りも意匠を凝らしてある。
a0087378_4355883.jpg 先の円光寺の案内板では、「山内には、新西国30番札所、聖観世音菩薩を祀る観音堂があり、中に目地蔵様、不道明王、弘法大師、養蚕堂神等が祀られており、天井には福島藩御用絵師佐原玉山弐信筆の龍が画かれている」と解説される。
 「森合郷土史」では、その建立の経緯について解説する。それによると、宝永5年(1708)に先に散策した「小字台」に建立されたようで、それが、寛永8年(1796)にここに移されたとのことだ。
 都市化に伴ってその高低差は感じにくくなっているが、先に散策した「小字台」は、「小字沼田」の西手で、ここの南側の小字で、その小字名からはやや高台になっているという風景だろうか。「勝口前畑遺跡」の東縁に位置する辺りでもある。
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 「野田村郷土史」で「堂内の造りも意匠を凝らしてある」ことを、円光寺案内板では具体的に「天井には福島藩御用絵師佐原玉山弐信筆の龍が画かれている」と解説する。
 「森合郷土史」は、この観音堂の天井絵の龍図は、文化・文政期(1804~29)の福島藩御用達絵師佐原玉山によると詳しく解説する。
 その福島藩御用絵師佐原玉山弐信氏は今のところ確認できていない。また、目地蔵は、「森合郷土史」によれば「杉目地蔵」とのことだが、こちらも確認できていない。

 「当地方の新西国33カ所中の第30番の札所」とあることにについて確認すると、オーソドックスな「信達三十三札所観音」の霊場ではなく、そのバリエーションの一つである「信夫三十三観音」の札所ということらしい。
 これにかかわって、「日本を巡礼する」というページを見つけた。
 http://harusamebashi.wiki.fc2.com/wiki/%E4%BF%A1%E5%A4%AB%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E8%A6%B3%E9%9F%B3%28%E6%96%B0%29
 円光寺観音堂は、その中の「信夫三十三観音(新)」として紹介されていた。
 その解説によれば、「信夫郡西国三十三所」には、新旧があるらしい。古くは(旧は)江戸期の開創とのことだが、昭和4年(1929)後藤要七氏が信夫准西国三十三観音とともに再興したというるそれが(新)とある「信夫郡西国三十三所」らしい。
 その29番に御近所の一杯森の正眼寺があって、次の30番がここ円光寺の観音堂ということのようだ。そして次の31番が、御近所の笹木野の仏母寺ということのようだ。
 http://harusamebashi.wiki.fc2.com/wiki/%E4%BF%A1%E5%A4%AB%E6%BA%96%E5%9D%82%E6%9D%B1%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E8%A6%B3%E9%9F%B3
 なお、ここで「信夫準坂東三十三観音」も紹介されるが、これはマイナーな巡礼のようで詳細不明とのこと。札所も15番法輪寺(福島市庄野茶畑屋敷)だけが紹介される。 
 これとかかわるのが、先の「2代目金子周助建立伝神社・仏堂」の散歩。
 ここで「長泥観音堂」がこの第25番「南無大悲観世音菩薩」で、醴(あまさけ)観音堂が第25番「準提観世音菩薩」であることを見つけている。更に、「小針地蔵堂」も、この札所の一つかなと想像もしている。それは、「うぶきぬを ぬいるおはりのいとながく ○○○○○○○○○○○○○○のもし」の御詠歌があることと、他の巡礼にかかわるところにその名が上がっていないということからだ。
 ここの第3番札所が「岩谷観音(福島市岩谷)」で、第7番札所が「養福院観音(福島市北矢野目)」、第22番札所が「鳥渡観音(福島市上鳥渡)」との情報もある。
 なお、後藤要七氏がどなたかの確認もできていない。
by shingen1948 | 2014-03-27 05:33 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)