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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~米沢街道附近~「八田神社(八天社)」②

「野田郷土史」では「八田神社」を以下のように解説する。
「八田神社」
 元村社、下八島田に鎮座、祭神は半軻具槌命を祀ると共に八方の天を祀ってあるので八天神社ともいう。
 創建年代は明らかでないが、長い間八島田の村社であった。境内にはかなり太い神木があって古社の面影残っている。
a0087378_536816.jpg 「元村社」、或いは「長い間八島田の村社であった。境内にはかなり太い神木があって古社の面影残っている」とかかわる標柱が、神社の後ろに残される。
 上八島田村の「八幡神社」も、八島田村の元村社とされるが、こちらは、元々は八島田村の吉野家の氏神であったものを、明治43年3月に遷宮して村社になったという経緯らしい。それで、それ以前の村社がこの「八田神社」なのかなと思っていたのだが、この柱には「昭和」が刻まれている。
 ならば、明治43年3月からは、この下八島田の「八田神社(八天社)」と上八島田の「八幡神社」が、八島田村の村社として併存していたということになるのかな。

 御祭神は、ここでは「半軻具槌命」とあるが、案内板などでは「火具都知神」とする。
 その共通の「カグツチ」について、「ウィキペディア」で確認する。
 「カグツチ」
 記紀神話における火の神。『古事記』では、火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)・火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ;加具土命)と表記される。また、『日本書紀』では、軻遇突智(かぐつち)、火産霊(ほむすび)と表記される。
 創建年代については、ここでは明らかでないとするが、案内板や「森合郷土史」では、「神社の創建は鎌倉時代の永仁年間の頃」とする。
 これは、恐らく藤権現碑が永仁5年(1297)建立の板碑であり、「弁慶の御山隠し」もこの「八田神社(八天社)」も、同時代なのだろうという推定に基づくものなのだろうと想像する。
 これに結構説得力を感じるのだが、それは直ぐ西手の「勝口前畑遺跡」の存在が大きいように思う。
 福島市のホームページによれば、この遺跡では弥生時代の時代の痕跡を残した後、古墳時代のむらの痕跡を残すという。その後、6世紀~8世紀には、そのむらの痕跡が消えるらしいのだが、9世紀になると再び水田の新たな開発によってむらが作られ、平安時代、鎌倉時代、江戸時代のむらの痕跡を残す事になるのだという。
 その広がりの中でとらえれば、ここに鎌倉末期の遺跡を残すことに不自然さを感じないということがあるのだろうなと思う。
by shingen1948 | 2014-03-22 05:42 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)