地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~請(清)合内附近の米沢街道情報④

 これは、「中の町」からの道筋の北側から眺めているところだが、「歴史地図」が散策の目印にしていると想像している。a0087378_5563954.jpg
 「信達ニ郡村誌」は、「八島田村」の道路元標を置いたのは小字「時田」地内の米沢街道の側と記すだけなので、正確な位置は曖昧だが、単なる散歩での想像は自由という事で、この辺りの米沢街道の側と想像しておく。
 ただ、その米沢街道筋というのも、旧道筋か新道筋かは分かってはいない。

 この付近でもう一つ一里塚にかかわる情報がある。 「天保国絵図」の情報だ。
 この絵図は、江戸時代に幕府の命で4回全国規模で作成されらしいのだが、その中の一つだ。天保6年(1835)に作成が命じられ、同9年(1838年)に完成しましたものだという。 
 この絵図に奥州街道や米沢街道が描かれているのは当然だが、驚きは飯坂古道も描かれているという事だ。更に、その飯坂古道と米沢街道の分岐点から笹木野宿の間のほぼ中心付近に、二つの点が記される。これが、一里塚の情報だ。この絵図は、縮率・描法等は、1里を6寸とする縮尺(約21,600分の1)とのことで、距離が正確に反映される図ということらしい。
 ただ、今のところ地域情報としてこの付近の一里塚情報をみたことはない。

 この辺りの散歩を地図に整理してみる。
a0087378_633876.jpg
 「勝口前畑遺跡」とされるのが赤枠で囲った辺り。
 弥生時代、「勾玉を作る途中の石や原石を割ったかけら、石を割る道具、穴をあける道具の遺物が発掘されたというのが、赤〇で囲った「西部三育幼稚園」付近。
 黄緑の線が、「歴史地図」が散策の目印にしていると想像している現在の道筋。
 薄い水色線が、現在の小字「道端」との小字界線。 「信達ニ郡村誌」で、小字「時田」を「塍畔を以て道端に界し」と解説するラインだ。「塍」が、「あぜ・くろ・ つつみ」で、「塍畔」からつつみをイメージすれば、薄水色の〇辺りかなという、これも勝手な想像。
 黄色い線が旧米沢街道のイメージ。
 散歩中は「中の町」と交差する付近から西進する道筋に引きずられた。「歴史地図」が描く旧米沢街道の道筋は、西道路付近で新道を跨ぎ、再び新道を跨ぎ返してから新道の北側を進むように描かれるということでの修正ラインも。
by shingen1948 | 2014-03-14 06:06 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)