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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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のりしろ散歩~請(清)合内附近の米沢街道情報③

 散策を通して米沢街道と水路のかかわりが気になったところだが、感覚的にそれ程ずれていないようだ。
 というのは、「信達ニ郡村誌」を確認すると、地勢の項の中で、「(村の)東部に米沢街道を受く」に続いて、「街道渠(渠道に循がって流るを以て名とす)、道に循がって東流す」とある。特に、西南部は「街道渠を以て笹木野村及び下野寺村と界し」とある。
a0087378_72558.jpg
 これが「歴史地図」が描く旧米沢街道が、奥羽線を跨いだ付近と想像する辺りから眺めたものだが、ここがおおよそ小字台と小字時田との小字界線付近かな。「歴史地図」では、この辺りで新道を横切り、「中の町」からの道筋のおおよそ1/3付近を目ざしてやや北上しながら西進するように描かれる。

 「信達ニ郡村誌」によれば、この小字「時田」に「八島田村」の道路元標を置いたという。
 小字「時田」は、「塍畔を以て道端に界し、南は街道を以て下野寺村に界す」と解説される。ならば、下野寺村に界するのは「街道渠を以て」であり、「街道を以て」であると想像される。
 小字「道端」に接するという「塍畔」の「塍」は、あぜ・くろ・ つつみを意味するようだが、そこに「畔」が付くので、ここでは「つつみ」を意味するように思うがどうだろうか。

 この付近は、もう一つの情報が重なっている。
 「歴史地図」が弥生から平安期の「前畑遺跡」と紹介するエリアだ。最近は、西道路を挟んだ「勝口」付近もそのエリアに含めて「勝口前畑遺跡」と呼称されているようだ。
 福島市のホームページでも、この遺跡を「勝口前畑遺跡」とし、その時代も、弥生時代、古墳時代、平安時代、/鎌倉時代、江戸時代の遺跡だと紹介する。その中の弥生時代と古墳時代の特色が詳しく紹介される。
 http://www.city.fukushima.fukushima.jp/uploaded/attachment/3587.pdf
 <弥生時代>
 西部三育幼稚園付近で、勾玉を作る途中の石や原石を割ったかけら、石を割る道具、穴をあける道具の遺物が発掘されたようで、ここで弥生時代に勾玉が作られていたとの紹介。ただ、竪穴住居は発見されず、集落の存在は不明とある。
 <古墳時代>
 4世紀と5世紀の竪穴住居と水田がされているとの紹介。
 水田は、竪穴住居の区域よりも低い所で発見され、水田と竪穴住居の区域の境では、豊作を願って祭りが行われた場所と推定される石制模造品の遺物が発掘されているとのこと。
 先に散策した「台畑遺跡」と似ているような気がする。

 マホロンの遺跡検索では、この遺跡の11の報告書が紹介されるが、ここで紹介される調査年(平成2年~平成10年)から、№1と№2の報告書は予備調査と思われる。
 よそ見好きの散策者として興味深かったのは、遺跡の噴砂跡から享保16年(1731)の地震跡を推定するマニアックな報告を見つけた事。
 今回の震災で、北沢又付近で下水管が地上に飛び出したのをみて驚いたが、これがこのマニアックな報告が納得できる経験になっている。
 http://tunogis.nichibun.ac.jp/iseki/detail/00510051.html
by shingen1948 | 2014-03-12 07:08 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)