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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2代目金子周助建立伝神社・仏堂⑦~奥玉神社②

 「奥玉神社由緒」解説の2代目金子周助建立伝にかかわる「天保4年11月本社火災に遭」うことについて「下村物語」が詳しく紹介する。
 この境内には、ほら穴状態になっていた老杉の大木があって、そこに乞食が住みこんでいて火を焚いたところ、その火が杉の枝に移って、側にあった愛宕堂に燃え移り、それが社殿にまで延焼してしまったということらしい。 「下村物語」では、老杉の大木の存在から古くからの信仰を想像している。
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 現在の建物は、この火災の7年後の天保11年に村の若者が再建の工を起こして、足かけ8年の歳月をかけて、弘化4年9月に完成したものとのこと。これが、「奥玉神社由緒」解説の「○○地区の村々から大ケヤキを集め造営されたものが本殿で、当時の氏子崇敬の信仰心がうかがわれる」ことに関わる部分だ。
「下村物語」に棟梁が奏上した守護所をもとに、この時の棟梁が詳しく紹介される。
 神社建築の棟梁 清和次郎兵衛 
 脇棟梁 亀岡繁右衛門 矢吹儀助
 工匠彫師棟梁 渡辺茂吉
 彫工 五島源氏 山口専之助 山口利作 金子幸吉 佐久間清八 

 圓介 孝蔵 文左衛門 巳代吉 彦治 清三郎 文吉 和吉 亀吉 和作 加平 

 斧頭 要吉 市助

 弘化4年7月大吉詳上棟
 遷宮 弘化4年10月5日 (大宝院18世玉柳ノ代)
 名主 当役矢吹重内
 先役 高橋源四郎
 同  須田久左エ門
 2代目金子周助建立伝とかかわるのは、この中の「彫工 金子幸吉」の部分だ。金子とあるのは、2代目金子周助を継いで羽黒神社を完成させて名声をえた後のことで、その活動の基盤は成川村(成田村と鳥川村の合併)に移っているという状況下ということだ。
 どうでもいいことだが、書き写していて菅原観音堂脇の粟島様にかかわるのではないかなと思われる大笹生村の「巳代吉」さんの名をみつけた。
by shingen1948 | 2014-01-24 06:52 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)