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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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2代目金子周助建立伝神社・仏堂③~小針地蔵堂

 旗立台に「小針氏子」の刻字があり、「地蔵尊堂」の掲げられているので、ここが小針地蔵堂であることが分かる。
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 境内の脇には消防屯所があり、その西方の後ろには小針集会所があって、現況は地域の公共施設の一つになっているらしい。
 この仏堂の前を走る道筋は、旧米沢街道笹木野宿と高湯街道を結ぶ道筋と笹木野村の中心地へ向かう道筋との三差路地点。
 福島からの旧米沢街道は、八島田の陣屋を過ぎて南に折れ、笹木野宿に入って愛宕社を西に折れて西進するようになる。その愛宕社からそのまま南進し、奥羽線の踏切を横切って直ぐの位置。
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 案内板がないので、「福島の仏堂明細帳」の明治13年12月付け山吉盛典に提出された書き挙げを確認する。
 この仏堂の位置は、笹木野村字星段とされる。
 本尊仏については延命地蔵尊で、由緒は不詳とされる。
 この宇堂については、その大きさは本堂縦1間半、横1間半で、その管理者は、「熊坂昌次良他10人持ち」とされる。その建立年月は不詳とされる。そして、その境内は76坪だが、これは管理者の民有地とされる。その維持管理だが、10円の寄付金を基にしたその利子で賄うとされる。
 縁日は7月24日であるのは、延命地蔵とのかかわりだろう。
 受持ち寺が仏母寺とされる。

 宇堂を覗かせていただくと、以下の御詠歌を記す旗が見える。後半がよく見えないが、前半に「小針」の地名にかかわることを織り込み、後半で「延命地蔵」にかかわる意と絡める内容と想像する。

 うぶきぬを ぬいるおはりのいとながく
                     ○○○○○○○○○○○○○○のもし

 延命地蔵を確認すると、地蔵菩薩の本願のうち、特に延命の功徳を強調した呼称(大辞林)とのこと。その御利益は広がり、新しく生まれた子を守ったり、その寿命を延ばしたりする。それが子どもの水難よけとか病気に苦しむ人々を守るという現世的な願いにかかわる御利益に広がったりするようだ。
 供え物を見ると、無事の出産までの広がりも感じるが、とうかな。
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 散歩での観察だけでは、ここが2代目金子周助建立の言い伝えは確認できなかったが、3つの仏堂を訪ねてみて、それぞれの地域が、それぞれの心の拠り所として仏堂を建てるという風習は、棟梁がいい仕事をする一つの環境が整っているというとこではないかなとは思えてきた。
 「福島の仏堂明細帳」の解説によれば、信夫の里では、地域の数人、或いは数十人を単位とした仏堂の建設維持管理をするということが江戸時代あたりから盛んになっていたという状況が推測されるということだ。
 そこには受持寺が書き挙げられてはいるのだが、これは形式的なことで、その主体性は地域にあったのではないかというのだ。
 寺に属する仏堂だけでなく、地域の人々が建立する仏堂、更には多くの神社は、棟梁の活気につながることになるのだろうと思うのだ。

 ※ 猿内山王が建つ「猿内舘」が、中世の舘跡であるとの言い伝えを確認する中で、小針地蔵堂の境内が、中世の板碑群の遺跡らしい事を確認した。
 それぞれの建物の建立年代は不詳とされるが、少なくとも、小針地蔵堂附近は、中世時代から板碑を建てる場所であったということではあるらしいということでもあるので、「2代目金子周助建立伝神社・仏堂④~小針地蔵堂」に付け加える(2014/1/20)。
by shingen1948 | 2014-01-19 07:22 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)