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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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松葉梁場跡? ~方木田附近散歩⑯

 西在への道筋へつながる里道を確認していながら、頭のどこかで「松葉」にこだわっている。というのは、方木田村にかかわる郷野目側の情報に、以下の紹介を見たことだ。
 そこに、今年の秋、現大森川(荒川)で鮭の遡上を見たという情報を見かけたことも重なっている。
 荒川(現大森川)沿いに歩を運び、松葉梁場跡に着く。当初常光寺のあったところで(?)竹林があり、明治時代までは、狐が出たといわれている。川幅が広く深さもあり、大正昭和のはじめまでは、子どもたちの夏の水泳場として親しまれたところ。ここで遊んだ人もまだ多いことであろう。当時を追想して、……。
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 「当初常光寺のあったところで(?)」という部分が、昨日整理した「西在への道筋~里道⑧~方木田附近散歩⑮」の「松葉閑居東堂」にかかわることのようだ。また、「竹林があり、明治時代までは、狐が出たといわれている。」という部分が、「西在への道筋~里道⑤~方木田附近散歩⑫」で整理した「松葉の狐」の世界のイメージに重なるようだ。
 その位置だが、この情報だけだと、馬川、大森川、荒川?の3つの川が合流する附近のようにも思われる。

 ただ、殆どの情報は、このヤナ場の情報とセキ止めの話がセットになっている。「方木田物語」では、以下のような紹介。
 ヤナ場は本方木田の南、郷野目村境を流れる荒川にあった。荒川は大正末期まで鮭(さけ)や鱒(ます)が上がってきて魚が豊富であった。
 元禄15年村差出帳に小物成「荒川小あみ礼御役銭永150文」とある。川魚を取るにも年貢がかけられていた。
 田植期になると、郷野目村の人達が来て、セキの上に石詰の俵を積みあげて水をセキ止めて用水をとった。セキ止めが終わると鰊(にしん)一束と酒2升を持って本方木田に挨拶に来た。今は改修されて俤(おもか)げはない。
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 この情報と重ねれば、現在の「セキ止め」位置より上流ということのようにも思える。改修による位置の改変があったとすれば、太平寺村側に水路の痕跡らしきものが残るのは、ここから馬川、大森川、荒川?の3つの川が合流までの中間地点辺り。おおよそ、その辺りがヤナ場候補地かな。

 なお、2010年頃、阿武隈川漁業協同組合の人工孵化場で10万尾を超える稚魚を育成し、次年度に摺上川・荒川・阿武隈川本線に放流するという情報があった。現大森川(荒川)で鮭の遡上は、この事ともかかわるのかも知れない。
by shingen1948 | 2013-12-29 06:19 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)