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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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西在への道筋~方木田附近散歩⑥

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 「吉井田ふるさと再発見マップ」が描く「旧土湯街道」の道筋は、ここからは道なりに進むようだ。この街道沿いに人家が建ち並ぶあたりから、更に一段高くなるようだ。
 写真では分かりにくいが、手前の柵の向こう側に水路が横切っていて、その縁が一段高くなっている。道筋としては坂道になっている。この水路をもとに高低差を意識すれば、赤沢墓地から周辺に広がる平場から西側に向かうに従って段々と高くなっいく地形のようだ。
a0087378_16472378.jpg 道筋をやや進んでいくと、南北に走る道筋に出会う。ここから右手に見えている道筋に進む。更に、幼稚園の脇を抜けると、特別支援学校の前を南北に走る通りに出る。この道筋は、特別支援学校の南端の道筋とつながるようだが、「吉井田ふるさと再発見マップ」が描く「旧土湯街道」の道筋の表記は、ここまでになる。

 「吉井田ふるさと再発見マップ」自体は、方木田村を含めた八木田村・吉倉村・仁井田村の吉井田村全体の地図だが、この道筋は方木田分までとしている。
 「信達ニ郡村誌」で確認すると、確かに道の項があるのは方木田村だけで、里道・山王道(会津街道)・在郷道(佐原道)・里道が紹介される。ただし、この「旧土湯街道」の道筋自体は紹介されていない。
 ただ、西部赤沢村と北白家(バッケ)村にとっては、赤沢村と北白家(バッケ)村とのかかわりの中でも重要な道筋だったのだろうが、里道・土湯街道とのかかわりでも重要な道筋だったのだろうとも思う。
a0087378_16503052.jpg 今までの「西在への道筋~方木田附近散歩」散策を地図上に表すとこんな感じかな。
 確認していくと、方木田村は、八木田・吉倉・仁井田の三村とは別の独自性を感じることがある。例えば、学校がムラから村への観点の一つの指標と見れば、これも方木田村は、八木田・吉倉・仁井田の三村と別の経緯をたどるようなのだ。
 八木田村・吉倉村・仁井田村は、共立の仮教場を仁井田村の實勝寺に設置するのだが、方木田村は、郷野目村、太平寺村と共立の小学校を永屋平民高野菊次郎宅に設置するようなのだ。その永屋は、里道と会津街道の交差する集落で、位置的にも交通の便的にも方木田村の中心地点である。

 里道だが、「信達ニ郡村誌」には、「西部赤沢と白家(バッケ)の間より起こり、南に赴き佐原道(※在郷道)十字を為し、斜めに南に赴き、会津街道(※山王道)と十字を為し、紆余として郷野目村に入る。長12町20間、幅1間、辻之内の西南隅に於いて此の道に支し、辻、高屋前を経て1等道路に達す。長8町35間、幅1間」と紹介される。
by shingen1948 | 2013-12-11 16:53 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)