「フクシマ」は東京の出来事 ⑪~夏から秋にかけてのメモから⑨
2013年 12月 10日
その後の経過をみていると、一向に悪びれるところのないたちの悪さもつきまとう。「一丸となって」経済の好転をとか、苦境を脱出してとかという言葉遊びの「気迫」で乗り切ろうという姿にしか見えていない。
東京五輪招致という大目標のためなら、何でもありの醜い姿。
それでも、僧侶で作家、三春町在住の玄侑宗久氏が言うように、「長年、誘致の努力を重ねてきた人々もいたのだから、その喜びは想像もできる」。だから、「250キロも離れていない福島県民としては、複雑な心境である」が、黙して語らないのだと思っていた。これがこの辺の住民の一般的な見え方なのだろうと思っていたのだ。
確かに、東京在住の地方紙の評論家の中には、「日本政府が責任を持ってやると明言したと誰もが安心した」という見え方を紹介する方もいらっしゃるのは見かけてはいた。「世界でも有数の財力を持つ日本政府が請け負ったとひとまずほっとしたのだ」そうだ。頭に「東京では」とつければ、結構説得力のある評論だ。
ところが、この辺の住民である方の中にも、東京在住の地方紙の評論家の方と似たような見え方をする方がいらっしゃったのだ。それが分かったのは、何気なく見た福島市議会最大会派の広報誌。その会長挨拶。
福島市長選挙の頃だった。
「国際公約通り迅速な対応を」在住地にかかわらず、地方ミニプロ集団でも同じ見え方なのだということに驚いたが、整理を控えたのは福島市長選挙の頃だったからだ。
http://www.sinseikai.net/pdf/kaihou36.pdf
先のIOC総会で、2020年のオリンピック、パラリンピックの東京開催が決定された事は、放射能汚染に日々苦しむ本市(福島市)にも将来への夢が持てたことで喜びといえます。その決定の大きな要因が安倍首相の演説です。時はまさに東電第一原発から汚染水が海への流出事故が国内外に大きく報じられました。「汚染水漏れはコントロールされ、国民の安全・安心に全く問題ない。政府が責任をもって対応する」と、安倍首相は国際公約をされました。
思い起こせば、先の衆議院選挙の福島駅前における第一声で、「福島の復興なくして国の発展はない」と演説され、我々はその言葉を支持しました。
(以下略)
人は、忘れる。
JOCの竹田恒和会長は、ブエノスアイレスの記者会見で、「福島とは250キロ離れている東京は安全だ」の趣旨発言に、東京が安全ならいいのかとの批判を誘ったこともあった。しかし、それも今では過去の事。そんな声があった事さえ忘れている。
安倍晋三首相の「状況は制御可能であることを私が保証します」との言い切りだって、もう過去の出来事になっている。東京が福島から250キロ離れているのは事実だが、「状況は制御可能であることを私が保証します」という安倍晋三首相の言葉には、嘘が漂う始末悪さがある事も記録しておきたい。