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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~第48話「グッバイ、また合わん」

 今年の大河も今話で襄氏も亡くなり、もう残りわずか。今話主題の「グッバイ、また合わん」は、八重さんに頭を抱えられて、襄氏が亡くなる際言い残しとされる言葉らしい。
 新島襄氏が息を引き取ったのは、明治23年(1890)1月23日の午後2時20分、享年46歳とのこと。その時に、「狼狽するなかれ。グッドバイ、また会わん」と言い残して目を閉じたのだとか。
 襄氏はずっと心臓が悪くて、いつ絶命するか予断ならなかったはずだが、この時の直接の死因は、東京から駆けつけた医師樫村清徳の診断によると、急性腹膜炎症であったようだ。

 時々、先に活躍した登場人物のその後が挟み込まれるのも、ドラマの〆に入ったという事かな。
 ちらりと、秋月悌次郎氏が訪ねてくる場面が挿入されたが、それが、先に先に整理した悌次郎氏のその後の時期と重なる。
 〇 大河ドラマ視聴「八重の桜」よそ見編Ⅳの2~関連資料展と散歩情報③
 http://kazenoshin.exblog.jp/17794937/ 
 〇 大河ドラマ視聴「八重の桜」よそ見編Ⅳの2~関連資料展と散歩情報④
 http://kazenoshin.exblog.jp/17824052/
 〇 大河ドラマ視聴「八重の桜」よそ見編Ⅳの2~関連資料展と散歩情報⑤
 http://kazenoshin.exblog.jp/17835109/
 なお、襄氏が亡くなる2年前の明治21年(1888)に、磐梯山噴火があり、猪苗代・裏磐梯地域は大きな被害を受けている。「松平容保の義捐金【福島県資料情報第22号(平20/10/25)】」によれば、この時に松平容保は現地に急行し被災者を見舞っていたことが、2010年に確認できたとのこと。
 http://www.history-archives.fks.ed.jp/con7/shiryo-22.html
 八重さんも磐梯山噴火情報は入っていたろうが、身の回りで大変な事が起きている時期と重なっているようだな。ただ、ドラマでは、明治23年(1890)の時点で、篤志看護婦の仕事を描くが、この時は、八重さんはに日本赤十字社の正会員になる時期であり、その資格は寄付行為なのだと思う。その2年前に、日本赤十字社は、この噴火の時に医療救護班を派遣して救護活動を展開しているらしい。どこかで結びつく要因になっていなかったなと思うのは勘ぐりすぎかな。
 なお、赤十字社の活動は、ドラマにあったように戦時想定が中心のようで、こちらの救護活動は、平時救護活動であり、見方を変えれば世界的先駆けた平時救護だとし、五色沼に「平時救護発祥の地」の記念碑が建つのだとか。確認はしていない。

 ドラマの概要については、エキサイト「大河ドラマ 八重の桜」のページから、第48話「グッバイ、また合わん」の粗筋をお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga52/story_48.html
 「グッバイ、また会わん」
 関東に向かった襄(オダギリジョー)は、同志社大学を設立するための募金活動をしていたが、体調を崩して大磯の旅館で療養していた。見舞いに訪れた蘇峰(中村蒼)は、八重(綾瀬はるか)に病状を伝えるべきだと言うが、襄は断固としてそれを拒む。
一方、京都では、八重が襄からのはがきの文字で、夫の体調に異変があったことを察知する。すでに襄の病状を知っていた覚馬(西島秀俊)から事情を聞き、予感が真実だったことを知った八重は急ぎ大磯へ向かい、襄と最後の言葉を交わす。
襄の死後、なかなか前に進めずにいた八重だったが、覚馬の勧めで日本赤十字社の篤志看護婦の仕事をしていく決意をする。

by shingen1948 | 2013-12-07 17:06 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)