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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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西在への道筋~方木田附近散歩⑥

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 坂を登り切ると、南北に走る道筋と交差する。これは、坂を登り切って、その交差点を過ぎて振り返ってみたところ。
 この横切った道筋の北側は、南高校の東側に接するのだが、「吉井田ふるさと再発見マップ」では、この交差点から南に進む道筋が「里道」だとし、その起点をこの交差点だとする。
 「里道」の「里」だが、江戸海道沿いの「郷野目村」と「太平寺村」を指すようだ。ここからそちらに向かう主要道のようだ。「方木田」村内としては、北西の「赤沢村」と東南端の「本方木田村」とを結ぶ道筋でもあるようにも感じる。
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 「旧土湯道」とされる道筋は、ここからは道なりに西に進むようだ。周りの風景とのかかわりを確かめると、先に「吉倉→八木田散歩⑥」で整理した河岸段丘線沿いの赤沢墓地が右手に見える。
 http://kazenoshin.exblog.jp/18892721/
 あの墓地の向こうが河床的風景で、あの墓地沿いのラインが河岸段丘的風景のラインであり、その事を意識すれば、この道筋は赤沢村の中心となる道筋なのではないかなと思えてくる。

 「赤沢村」を意識すれば、ここからは見えないがこの道筋の南側にあるという「赤沢太子堂」の位置確認をしておく。
 「ぐるっと吉井田」では、以下のように解説する。
 「赤沢太子堂」
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 佐藤家敷地内にあるお堂。
堂内には、聖徳太子像2体が安置されています。堂の建立時期は不詳。昭和44年改修時の棟札に享保9年(1724)と記入されています。
 「佐藤家敷地内」は、他所者の散歩人にとっては流してしまう情報だが、地域の方々にとっては、村の始祖とされる方々の情報が頭にあるようだ。村の方が整理した「方木田物語」の解説から赤沢のかかわりを抜書きすると以下のような概要。

 赤沢(明治9年人家4戸)
 赤沢は、永正17年(1520)の伊達稙宗文書に出てくる古い字である。
 元和2年に片平六左衛門、尾形外記、佐藤弥七郎が、方木田方面に落ち延びてきた。
片平六左衛門は本方木田に、尾形外記は郷野目先祖ケ原に、そして、佐藤弥七郎は、廃墟と化した室町時代の赤沢在家の跡に本拠を置いて村を起こす。尾形外記は、その後、郷野目に一族を残して辻の内に移る。
by shingen1948 | 2013-12-06 07:22 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)