地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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西在への道筋~方木田附近散歩②

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 先に双体道祖神を整理した時には、石塔の手前に案内板が設置されていたので、石塔の案内と道標の案内とを勘違いしている。
 その道標を確認すれば、「右在御道」・「左山王道」と安政5年8月吉日建立が読み取れる。

 元々の設置位置はここではなく、現在地より福島方面に17m先のT道路にあったものを、平成6年にここに移されたと解説されていた。その位置は、おおよそ「吉井田ふるさと再発見マップ」に表示される在郷道と山王道の交差点のこの地点だろうと想像される。a0087378_17495448.jpg
 「ふくしま散歩」に発願主「佐藤伝之助」「周古重松」「重作茂兵衛」と建立地である方木田吉の内も刻まれているとのことだが、そこまでの確認はしなかった。

 二つの道筋「右在御道」・「左山王道」だが、「ふくしま散歩」では、「右在御道」は、田畑の間を通って土湯街道への道筋だとし、「左山王道」については、福島方面から大森を経て水原に抜ける本道であるとする。その「左山王道」は、現況でもたどり易い丑子内→赤沢→石田の道筋で、ここから大森道と山王道に分かれる。こちらが本道とのことだが、吉倉・鳥渡・佐倉方面の人々にとっては、もっぱらその利用は「右在御道」の方で、こちらもその村々を経由して土湯に向かう道筋ということでもあるようだ。

 なお、「吉井田ふるさと再発見マップ」では、分岐点から「在御道」とするが、「左山王道」は元々が東側からの道筋であって、明治6年頃には、「在御道」が尾形商店と玉野屋雑貨店の間を折れる道筋として設定されていて、その道筋が鉄道敷設時に陸羽街道口を基点となるように整備されたということらしい。それが、明治27年頃の事ということらしい。
 つまり、地域の人々にとっての陸羽街道口を基点とした道筋は、在御道がメインであって、本道とされる会津道は、ここから分岐したものという感覚なのかなと思う。

 方木田村の時代の里標についてだが、信達ニ郡村誌には、「元標を中部上仲田会津道の側に建つ」とある。こちらは会津道=「「左山王道」の本道のようだ。
 正確な位置は不明だが、会津道の本道道筋が「小字上仲田」と接するのは、「右在御道」と「左山王道」の分岐点から道祖神を経由して、次の四つ辻までの間である。その間のどこかの地点ということのようだ。
by shingen1948 | 2013-11-27 17:50 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)