地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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吉倉→八木田散歩⑫

 「ぐるっと吉井田」には、「有角石斧の出土品」が写真で紹介されている。
 半沢氏の「歴史地図」に有角石器が吉井田小学校に保存されているようにメモされていることから、この出土品は、発掘調査以前に元々の小字鎧塚地点で出土したのではないかなと勝手に想像する。

 「鎧塚遺跡(下鎌遺跡)」の地形を、荒川(須川)との関係性を意識してみれば、河岸段丘上のように見える。そして、その南側が、吉倉村の耕地整理で開発された水田が広がる。見方を変えれば、その開発から取り残された風景のようでもある。その理由が、村境である事と微高台地なのだろうと想像する。しかし、その地形的な特徴こそが、古墳時代から平安時代(1600年~1100年前)の福島盆地の拠点的な集落跡と重なる理由でもあったということなのだろうと思う。
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 遺跡の南側の吉倉村の耕地整理で開発された水田の中に、3m四方の小高い丘が残る。これも取り残された風景だが、そこには山ノ神が祀られている。この辺りの小字山神の元になるものかなと勝手に想像する。
 山ノ神が祀られる辺りの消えた小字を確かめると、その丘の南側辺りが「小字南山神」で、その丘の北側辺りが「小字北山神」のようだ。
 小字を確認していたら、西環状線を挟んだ明治時代に吉井田の役場があったという小字上八木田の南側にも山神とかかわる小字を見つけた。「小字山神後」、更にその南に「小字山神前」。ただ、その辺りでは山神様は見なかったような気がしている。小字と共に山神様も消えたかな。

 その小字を通して「鎧塚遺跡」附近の地形とのかかわりで気になったのが、塚の付く小字名かな。
 「小字鎧塚」もその一つだが、現在はその小字鎧塚に取り込まれているが、元々の小字鎧塚の北側に、小字石塚が見える。更に、墓地の附近が「小字大壇」で、その北側が「小字大塚」かな。

 ※消えた小字「小字上八木田」について確認したこと
 方木田村・八木田村・仁井田村・吉倉村が合併して吉井田村が誕生するようだが、その吉井田村の明治27年時点での役場が、この小字上八木田にあったとのことだ。更に、大正9年時点の吉井田村道路元標位置が、その小字上八木田8という情報がある。
 その小字上八木田自体は消滅しているが、「福島の小字」で確認でき、八木田神明神社の直ぐ東側の位置であることが分かる。ただ、その8の地点がどこかは分からないのだが、散策した道筋なのだろうと想像しても大きく違える事はなさそうにも思う。
by shingen1948 | 2013-11-22 07:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)