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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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吉倉→八木田散歩⑪

 福島市関係の資料や半沢氏の歴史地図では、旧吉倉村と旧仁井田村の字界の旧仁井田村側寄りの荒川(須川)の河岸段丘風微高地形に沿う辺りを「鎧塚遺跡」と紹介される。この分布を、マホロンの検索では無調査の「下鎌遺跡」と紹介される。そのマホロンの遺跡検索のページでも、その調査歴については「鎧塚遺跡」として以下の2つの調査結果の概要が紹介される。
 その一つが、「昭和63年度遺跡詳細分布調査報告書【(財)福島市振興公社(1988)】で、竪穴式住居6が確認され、古墳時代の遺跡と紹介される。
 この時の検出遺構数は、古墳竪穴住居跡3・奈良平安竪穴住居跡3・その他の遺構1で、出土遺物は、縄文土器・土師器・須恵器・陶磁器とのことだった。
 二つ目が、「一般国道13号福島西道路関連遺跡発掘調査報告 鎧塚遺跡(面積7883)【(財)福島市振興公社(1989)】で、竪穴式住居31・掘立柱建物10・土坑62が確認され、古墳後期~飛鳥・平安(9世紀)の遺跡と紹介される。
 この時の検出遺構数は、古墳竪穴住居跡8・奈良平安竪穴住居跡23・土坑62・溝跡23・その他の遺構5で、出土遺物は、土師器・須恵器とのことだった。
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 半沢氏の歴史地図や「ぐるっと吉井田」の情報と照らし合わせると、この二つの報告は、下鎌地域の右手に西環状線が開通するのに伴って平成元年~3年調査されたという紹介と重なるのだろうと思われる。そこでは、調査結果は平安期の「鎧塚遺跡」と紹介される。
 その「鎧塚遺跡(下鎌遺跡)」の分布と西環状線が重なるのは、おおよそこの附近だと想像する。

 マホロンの検索では「鎧塚遺跡(下鎌遺跡)」の調査歴は、この二つの紹介だけだ。市道改良事業に伴って、平成12年には下鎌地域の西側の道筋に沿っての調査が行われ、平成14年にも字界線附近の道筋に沿って発掘調査がなされたらしい。更には、平成21年には、その北側の交差点付近の調査されたということのようだが、こちらの紹介は見ない。
 地区だより「よしいだ(平22/2/1)」では、「鎧塚遺跡」について、平成21年の調査地区の写真を掲げて以下のように紹介する。
 「鎧塚遺跡」
 仁井田地区と吉倉地区に分布する鎧塚(よろいづか)遺跡、市道の改良工事に伴って発掘調査が行われ、地区の方々を集めて現地説明会が行われました。以前の調査でも、古墳時代から平安時代(1600年~1100年前)のムラが見つかっており、この付近が福島盆地の拠点的な集落であったと想定されています。
a0087378_6525893.jpg
 (「吉井田ふるさと再発見マップ」より、仁井田字鎧塚地内の平成21年調査地点だと思われる写真)
 その「以前の調査でも、古墳時代から平安時代(1600年~1100年前)のムラが見つかっており、この付近が福島盆地の拠点的な集落であったと想定される」とするのが、この西環状線と重なる附近の調査だと想像する。
by shingen1948 | 2013-11-21 06:57 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)