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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大河ドラマ視聴「八重の桜」~ 弟45話「不義の噂」

 ドラマでは、山本家にかかわるトラブルを2話の主題として展開されるようだ。
 この時期の襄氏は、教育者として精力的に同志社の発展・充実に取り組みながら、もう一方で、牧師として教会建設や説教活動を展開するという精力的な活動を展開する大切な時期でもあるようだ。八重さんの故郷である会津を基盤に、仙台に「東華学校」を開講するという動きも、その一環の動きだったのだろうと推測する。
 最近気付いたのが、その襄氏の行動を追う裏付け資料として手紙が多いということだ。襄氏は、書簡の人だったといわれるとのことで、現存するものだけでも600数10通を越えているらしい。最近、書店で「新島襄の手紙【岩波文庫】」を目にしたが、これは、それ等の中から96通をセレクトして編集されたものなのだとか。

 福島県内では今年の4月に、襄氏が浪江町出身の県議で自由民権運動家だった苅宿仲衛に宛てた手紙が、福島県立歴史資料館で発見されて、それが展示されるという報があったが、聞き流していた。
 しかし、その内容を改めて確認すれば、同志社大設立への賛同して知人に広く紹介してほしいという協力依頼の直筆の手紙ということらしいのだ。同様の手紙は、二本松出身の自由民権運動家安部井磐根にも出しているのだとか。その日付も明治22年(1889)2月6日付。
 ドラマでは、八重さんも襄氏の留守中に、同志社女学校の廃校の危機を救う行動が描かれるが、襄氏の「同志社大学の設立趣旨」が大きな反響を呼んで、同志社大学設立に最大のチャンスが訪れるのは、明治21年(1888)とのこと。
 それまでに国内の寄付金だけで6万円に達していたが、大学の設立にはまだ、多額の寄付が必要だったらしい事情が今なら分かる。
 ドラマ視聴とかかわれば、特別な意義のある資料というよりは、襄氏が少しでも知りあった方々に、誰それと選択しているゆとりはなく、必死に頼み込んでいる必死さが伝わるという意義の手紙だったのだろうな。
 無知だったな。
 「新島襄の手紙を公開 本県の自由民権運動家と交流【福島民友(2013/4/20)】」a0087378_9372996.jpg
 同志社の創設者で、NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公新島八重の夫新島襄が本県の自由民権運動家に同志社大設立への賛同と協力を求めて書いた直筆の手紙が19日までに、福島市の県歴史資料館で発見された。新島が自由民権運動家と深い交流があったことを裏付ける史料として注目されるという。直筆の手紙は20日から、同館で初公開される。
 新島直筆の手紙は1889(明治22)年2月6日付で、浪江町出身の県議で自由民権運動家だった苅宿仲衛に宛てた手紙。同館の渡辺智裕専門学芸員(47)が昨年秋、収蔵資料の整理中に発見した。文中には「大学之計画御賛趣被成且広ク御知人中ニモ御誘」とあり、大学設立への趣旨に賛同してもらい、広く知り合いにも紹介してほしいと書かれていた。
 渡辺学芸員は「新島襄が弾圧されていた自由民権運動家と、当時の状況に関係なく、交流していたことを証明する史料」と話している。
 手紙の公開は7月15日まで開かれる展示会「八重の時代の人々」で行われる。

 ドラマの概要については、エキサイト「大河ドラマ 八重の桜」のページから、弟45話「不義の噂」の粗筋をお借りする。
 http://tv.excite.co.jp/detail/nhk_taiga52/nextsynopsis.html
 「不義の噂」
 襄(オダギリジョー)が米国から5万ドルの巨額の資金援助をたずさえて1年8か月ぶりに帰国した。無事の帰国を喜ぶ八重(綾瀬はるか)。しかし、襄の留守中に深まっていた時栄(谷村美月)と青木(永瀬匡)の不倫関係が、スキャンダルとして街に知れわたり、同志社の宣教師たちからも不協和音が噴出する事態に。収拾のため、覚馬(西島秀俊)は商議所会頭を辞職するが、責任の重さを悟った時栄は離縁を申し出る。

by shingen1948 | 2013-11-16 09:40 | 大河「八重の桜」視聴記録 | Comments(0)